デザインのよみかた
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2018年2月28日 デザインのよみかた #2

いいデザインとはなにか

はじめに

中村
今日は「いいデザインとはなにか」というものですから、結構大きなテーマになります。前回は260万年の人類史というテーマで見たのですが、今回はおよそ150年程度の範囲です。短くなった分、解像度が上がって、今回もボリューミーな講座になりますが、以上の4項目の章立てになっています。どうぞお付き合いください。

それでは、いいデザインとはなにか?というところで、スライドではこんなものを紹介しています。クリシェとなるのは、シンプルとか無駄のないとか言われるものなど。こうした意匠の潮流があるというのは、みなさんご理解されていると思います。一方で、どうしてこういうものがいいと言われているのかというのも、ちょっと不思議なところかもしれません。たとえばMacBookにステッカーを貼ったりだとか、iPhoneもケースに入れたりとかして、こうした意匠に対して物足りなさを感じている人も大勢いるはず。では、なぜこれらがいいと言われているのか?というところを、今日は前半で掘り起こしていきます。

これらのものは、いわばモダニズムというたぐいのデザインです。デザインの様式、モダニズムという解釈もありますが、今日はこういう形で定義します。16世紀のころにはすでにこのような言葉は出ていて、「現代」を意味する、古典からの離脱というのもありますけども、様式化した19世紀末からの思想・様式を意味するというのもあります。前回の260万年の人類史=デザイン史、みたいな話を覆すことにもなりかねませんけども、デザインの領域においては19世紀半ば頃から20世紀に展開された思想・様式を指します。インターナショナルスタイルという言い方をする場合もありますね。

では、典型的なモダンデザインというものについて見ていきましょう。その前にデザイン年表で言いますと、大体20世紀が中心になりますので、ぜひ参照してみてください。

モダニズムのデザイン

中村
ではまず第1章の、モダニズムのデザインですね。大体20世紀前半からはじまって、2000年代くらいには自分たちのなかではそれが当たり前になって、気付きにくいくらいの定着をしているものなんです。それについて解説していきます。

Walter Gropius Bauhaus Dessau (1925) Walter Gropius Bauhaus Dessau (1925)

Jean Prouvé chair Metropole no.305 (1954) Jean Prouvé chair Metropole no.305 (1954)

Charls Eames & Ray Eames Eams Home (1949) Charls Eames & Ray Eames Eams Home (1949)

はじめに、代表的なモダニズムのデザインについて紹介していきます。こういうものですね。これらがモダニズムの典型的なもので、名作と言われているんですよね。これを見てどうですか?これが有名な建築物だよと言われると、もしかするとピンとこないかもしれません。バウハウス校舎は郊外の団地みたいなところもあるし、スツール60も学校で見たことあるし、これもただの景色じゃないか……といったような感じで。これがある種モダニズムのすごさみたいなところで。それだけ定着していて、今のデザインの基本となっている様式ということです。これは要するに19世紀から20世紀前半に模索されたことが、20世紀をかけて定着していくわけですけども、それはある人類史上のできごとがターニングポイントになっています。

Joseph Müller-Brockmann Zurich Town Halls Poster (1955) Joseph Müller-Brockmann Zurich Town Halls Poster” (1955)

Mies van der Rohe Seagram Building (1974) Mies van der Rohe Seagram Building (1958)

柳宗理 ステンレスカトラリー (1974) 柳宗理 ステンレスカトラリー (1974)

Dieter Rams Brawn AB 30 (1949) Dieter Rams Brawn AB 30 (1949)

それはなにかというと、産業革命です。これが大きなきっかけになったわけです。いわゆるモダニズムというのは、産業革命という時代に対するアンサーと言えるのかもしれないですね。なんといっても革命なので、インパクトが大きかった出来事なんですけれども、産業革命以降の時代や文明に対する回答がモダニズムであると。キーワードでいうと、まずは工業です。それから科学技術が発達していった時代、都市の時代と。産業のあるところが栄えて、それ以外は郊外の扱いになるという価値観が出てきてました。それから国際化の時代。今はすでにインターネットで世界がつながっているという感覚がありますけども、それが具体化してきた時代であったと言えます。このような影響もあり、幾何形態とか抽象化、純化といったところが好まれていたわけですよね。

Piet Mondorian Composition Ⅱ in Red, Blue, and Yellow (1930) Piet Mondorian Composition Ⅱ in Red, Blue, and Yellow (1930)

ピエト・モンドリアンの有名な絵画です。まさにモダニズム的。ここに至る過程というのをモンドリアンはまめに残していて、最初は印象派的に描かれていたリンゴの絵画が、だんだん濾過されて抽象化されていった変化の様子がわかります。工業化の時代とか国際化の時代になると、純粋なものへの憧れというのが出てくるんですね。純度が高い方がいいという価値観がこの頃にはすでに出てきているんです。実は意外にも、15世紀に出版されたアルベルティ『絵画論※1』にも、面の上に点、その点が移動して線になり、というくだりがあります。その面の上に点という考え方がすでに、西洋らしい単純化の仕方だとも思いますが、そういうところから引き継いだ文脈があるということですね。

Leon Battista Alberti La Pittura (1436) Leon Battista Alberti La Pittura (1436)

Adolf Loos Ornament and Crime (1908) Adolf Loos Ornament and Crime (1908)

Adolf Loos Looshaus (1911) Adolf Loos Looshaus (1911)

モダニズムをうけた色々なキーワードがあるんですけども、そのひとつが「装飾は罪悪である」というアドルフ・ロースの言葉が、象徴というか、スタートダッシュのような言葉だったかもしれません。また、モダニズムの巨匠であるコルビュジェの「住宅は住むための機械である」という、まさに工業に憧れるような言葉が出てきています。これはアドルフ・ロースの『装飾と罪悪※2』という本の表紙です。これは今の感覚で見るとどうかわからないけども、全然装飾がなく文字のみですよね。文字もゴテゴテしておらず、幾何的に処理された文字になっていたりする。ではこの人がどのような建物をつくったのかというと、こういうものですね。今の感覚で見るとちょっとクラシックに見えるところがあるかもしれないですが、周辺の建物と比べるとだいぶすっきりして見えますよね。

大林
アドルフ・ロースはすごく好きなんですけど、彼は装飾のことを、自然のリズムや流れを模倣して、それが人間の内側から湧き出てきた精神性のように飾り付けていることを批判してたんですよ。ロースは、よく言えばすごく信念のある人なんですけど、悪く言えば冷徹というか、モダニストは全員そうかもしれませんけど、ムダなことが大嫌いだったんですね。極度に男性的と言いますか。たしかに装飾って女性が好むことが多いと思うんですけど、彼はそういった感性を削っていっていて、最終的にアルミでできたタバコのケースの光沢で十分ということを言っていたんです。ミニマリズムでありダンディズムの極致みたいなところにたどり着いた人なんです。

中村
違いのわかる大人であるロースの建築だとこうなるというか、他の建築と比べるとだいぶすっきりしています。それは純粋なかたちになっているとも言えるし、工業的になっていると言えるかもしれません。

Peter Behrens AEG Turbinenfabrik (1910) Peter Behrens AEG Turbinenfabrik (1910)

Deutscher Werkbund Die Forms ohne Ornament (1924) Deutscher Werkbund Die Forms ohne Ornament (1924)

続いて、これはペーター・ベーレンス。ドイツ工作連盟という集団のメンバーのひとりがつくったタービン工場です。これも近代建築の代表的なものと言われています。これは本当に装飾がない形ですよね。あとに出てきたこういうのもつくっている人なんですけど、これもクラシックではありますが、幾何的な質感というか、装飾のない質感を活かしたものになっています。ドイツ工作連盟は『DIE FORM OHNE ORNAMENT※3』という本を出していて。『装飾なき形態』という意味で、1920年代前半のものなんですけども、このカタログの写真を見てわかるとおり、われわれが現在、使っているようなドアノブもありますね。こうやってゴテゴテした装飾を排除しながら、シンプルな形のよさを啓蒙していくわけです。

あとは窓が横に流れるようになったというのもあるかもしれないですね。まだその前は縦の流れがあったように思いますけども、ここで横の流れができたことで一気に現代的に見えるようになっている。建材が変わったこともありますね。いわゆるコンクリートとガラスと鉄、というこのあたりがキーワードになってくるんですけども、それもまた装飾をせずに金属もガラスもそのままむき出しにする。それが成立するような建築物が出てくるわけです。

1919年に開講したバウハウス。ここは近代デザインにおける初期の教育機関です。そこに関係した人物が様々なものをデザインしていきます。鉄パイプを曲げただけの椅子とか、装飾や図版がなく、文字だけで表現した広告物、書籍など。これは当時のバウハウスのカリキュラムですが、ここでモダニズムの教育体系が芽生えたいうことですね。これは真ん中に行くにしたがって時間軸が進んでいくというもので、最終的な目標は建築物をつくることになっている。そこに至るまでにいろいろな基礎課程をやっていくんです。途中に素材のワークショップとかがあるわけですが、泥や石、木からメタル、グラスといった工業素材が入ってきているところも、1919年以降にできた学校らしいといえます。

Le Corbusier Iilla Savoye (1931) Le Corbusier I'illa Savoye (1931)

他にも近代建築を見ていきますが、これはコルビュジェのサヴォア邸ですね。これは本当に豆腐が浮いているような四角いもので(笑)、パリの郊外にあるものですが、どこの国のものかわからないですよね。色が白であるというのも、純度が高いということになる。

Mies van der Rohe Barcelona Pavilion (1929) Mies van der Rohe Barcelona Pavilion (1929)

また、これも抽象的な建築物で、かろうじて建物とわかるくらいのものなんですけども、ミース・ファン・デル・ローエの建築物です。これを見るとミースの構成力がすさまじいなとわかります。20世紀の前半、こうした建築物がどんどん出てくるわけです。同じ頃、ニューヨーク近代美術館、MoMAで近代建築展が開催されて、先ほどのドイツ工作連盟の本と同じように、社会に対するモダンデザインの啓蒙活動がおこなわれるわけです。

El Lissizky Dlia Golosa (1923) El Lissizky Dlia Golosa (1923)

Jan Tschichold Typographischen Mitteilungen (1925) Jan Tschichold Typographischen Mitteilungen (1925)

Jan Tschichold Die Neue Typographie (1928) Jan Tschichold Die Neue Typographie (1928)

本についても、文庫本とかを考えてもらうとわかりやすいと思うんですけども、それまではページが全部同じフォーマットで、同じ文字が並んでいるというようなものだったのが、表現的になっていくという流れが生まれます。たとえば、左右非対称の構成になったり、サンセリフ体を使うといったようなものがあります。1928年にはヤン・チヒョルトという人が『新しいタイポグラフィ※4』という宣言を出したりするわけですね。

大林
バウハウスは、いろんな建築とか芸術とか造形を統合して扱おうとしていました。すると最終的に幾何学的なものだけが残るという状態になって、それが直線というか、単純な形態になっていきます。先ほどの装飾って自然の模倣であり土着的なものだと思うんですけど、直線だと万国共通じゃないですか。だからインターナショナルな言語になっていったんじゃないかと思います。

Joseph Müller-Brockmann Neue Grafik (1959) Joseph Müller-Brockmann Neue Grafik (1959)

中村
20世紀から半ばにいくんですが、終戦からしばらく経ったあとの1950年代以降、いわゆるミッドセンチュリーのタイミングにいきますと、より洗練されてきます。これはヨゼフ・ミュラー=ブロックマンの『ノイエ・グラフィーク※5』ですが、どうですかね?1950年代のデザインとして見てもいいんだけども、このあたりから現代にもありそうな雰囲気になってきます。

そうして、この後の1957年には、20世紀における傑作といわれる活字書体が発表されるわけですが、上がフルティガーによるUniverse、下がマックス・ミーディンガーによるHelveticaですね。こうやって並べると本当に似ているなあという印象があるんですが、もうこれらは今のわれわれにとって、「普通に見える」書体のたぐいだと思うんですよね。普通に見えるし、どこの国のものかもわからないようなグローバル性をもっている。こうしたものが20世紀の価値観で傑作と呼ばれるわけです。

バウハウスに続いて、戦後のドイツではウルム造形学校が設立されます。バウハウスにも携わったマックス・ビルを学長にし、設立者はオトル・アイヒャー。ここのデザインというと、まずはこのブラウンのラジオです。これは1960年代のデザインだったと思いますけども、ほぼiPodともいえるような形になっていますよね。グラフィックスでは、ルフトハンザ航空のものとかが出てくるんですけども、ここまでくるとさすがに古さを感じさせないくらいの印象です。オトル・アイヒャーは、ミュンヘンオリンピックでピクトグラムをつくりました。これは我々が駅でトイレを見つけたりするときなどに頼りにしているものですけども、こういうものがどんどんブラッシュアップされていくわけです。

Max Bill Form (1952) Max Bill Form (1952)

一方で、ウルム造形学校の学長であったマックス・ビルは『Form※6』、フォルムという雑誌を出して、こういうのがいい形だよというのをプレゼンテーションしていくわけです。モダニズムのおもしろいところは、こうやって学校や雑誌をつくったり、展示をやったりして、自分たちの価値観を啓蒙していくような活動に熱心だったところがあります。日本でもグッドデザイン賞あたりがそういうたぐいだと思いますが。

丹下健三 東京計画1960 (1961)

そのあと、より大きな規模になって、モダニストたちは都市計画にも熱心になっていきます。これは1960年の『東京計画1960』という、丹下健三が当時の建築家と、彼がいた大学のゼミ生でつくったプランなんですが、街全体というか、都市をつくっていこうという発想ですね。そうした意味では、最初からインターナショナルな方向に向かっていたし、産業革命以降の物量もスピード感もある時代のなかで、都市規模でデザインを捉えていくという、大きな捉え方をしています。地図を見つめるこの写真のように、神が民衆を見下ろすような目線でデザインを考えていたんだじゃないでしょうか。

バウハウスのときには、建築物という最終的な目標があったんですけども、ウルム造形学校で、マックスビルらは環境が目標だと言っているんですね。環境っていうのは拡張性があるのでなかなか定義しづらいところはあるんだけども、とりあえずこの20世紀の半ばでは、それがひとつ都市という考え方になっていたのだと想像します。

なので、モダニズムというのは、20世紀という時間軸のなかで、都市・国家・世界規模で展開し、定着していったものだったと。そして教育機関や書物・展示などによる教育・啓蒙活動も積極的におこなわれたというところですね。今日においては、日常のインフラストラクチャ的役割、つまり当たり前にあるというところを担うデザインになっています。

亀倉雄策 1964年東京オリンピック (1964) 亀倉雄策 1964年東京オリンピック (1964)

丹下健三 代々木国立体育館 (1964) 丹下健三 代々木国立体育館 (1964)

黒川紀章 中銀カプセルタワービル (1972) 黒川紀章 中銀カプセルタワービル (1972)

なので、冒頭でお見せしたようなプロダクトが、モダニズムの文脈を引き継いでいるというのがおわかりになったかと思います。ちなみに日本において、モダニズムのデザインが一気に普及するきっかけになった出来事というのがあるんですよね。いろんな段階があるんですが、1964年の東京オリンピックは、当時は国際化社会を象徴するようなイベントで、デザインにおいてもモダニズムが普及するきっかけになったと思います。これは亀倉雄策の有名なポスターですし、先ほどの丹下健三も、代々木体育館という建物をつくっています。この頃になるとモダニズムも、いわゆる禁欲的なものから、すこしずつ造形のおもしろさが出てくる。こういったメタボリズムというような動きとかも出てくるんですよね。

あるいは、1970年代以降になると、日本ではバブル経済なんかともリンクしてくるんですけども、ポストモダンの動きが出てきます。これまで禁欲的だったものに表現的な要素が入ったようなデザインも普及し出したり、脱構築主義という、これ、まじか!みたいなものも出てきます。今回の東京オリンピックの国立競技場設計競技で最初に名のあがったザハ・ハディドなんかは、こういう脱構築主義の建築家の人物です。このように、禁欲的なる時代の反動ともみられる、色々なスタイルが出てくるわけですよね。

Ettore Sottosass Ettore Sottosass

Frank Gehry Dancing House (1992) Frank Gehry Dancing House (1992)

20世紀半ば以降、メタボリズム(1959年–)やポスト・モダニズム(1977年–)、デコンストラクショニズム(1980年代–)など、モダニズム以降のデザインが模索されているんですけども、いずれもモダニズムの引力圏内の出来事であったと言えます。というのも、メソッドとして、あるいは前提としてどれもモダニズムありきで、そこからどう距離を取るかという発想なので。

1990年代以降は、モダニズムに回帰していきます。1990年代になると金沢21世紀美術館とか、無印良品のこういうもの、あとは先ほど出てきたAppleがそうですよね。これって色々なものがごたごたしたからリセットボタンを押した、みたいな感覚になんだと思いますけども、リセットボタンを押した先がいわゆる典型的なモダニズムだったというところも興味深いところです。ちなみにわれわれが普段使うようなAdobeのPhotoshopなども、モダンデザインがつくりやすい設計になっています。というところで、150年くらいを一気に駆け抜けてきました。

SANAA 金沢21世紀美術館 (1999) SANAA 金沢21世紀美術館 (1999)

原研哉 Muji (2001) 原研哉 Muji (2001)

Steve Jobs & Joonathan Ive Macbook Air (2008) Steve Jobs & Joonathan Ive Macbook Air (2008)

大林
今回問題にしている「いいデザイン」っていうのは英語で言うと「グッドデザイン」じゃないですか。これは一般名詞ではなくて、固有名詞として1950年につくられたものなんです。そこでグッドデザイン賞っていうのができたんですね。Gマークで知られる日本のグッドデザイン賞は1957年からで、経緯がすこし違うんですが。それからイタリアで「ベルデザイン」と呼ばれたり、ドイツで「グーテフォルム」という「良い形態」を指す言葉が出てきたりして、いずれも同じ意味と考えていいでしょう。

つまり、1950年代初頭から1960年代にかけて「いいデザイン」ブームみたいなものが起きたんですよね。それは基本的にモダンデザイン的なものを指していたんですが、同時にその頃はモダニズムが飽和状態というか、一般化しすぎて低迷化していたということだとも思うんです。「いいものはいい」みたいな、広告のコピーのようなトートロジーになってしまいますが、要は1960年代後半から段々と「モダンなのってダサくない?」と飽きてきちゃったんです。そのせいで、先ほどのポストモダン建築のような極端な例が受け入れられていったわけです。近代化と脱近代化という運動は、一旦均質化を経て、そこからまた散り散りになっていくという循環があるんだと思います。

中村
最近はソットサス的というか、ポストモダン風の意匠、色使いやテクスチャが流行っていましたよね。

大林
ポストインターネットというか、インターネットの世界のインターフェースが洗練されていく一方で、昔のデザイナーじゃない人がデザインしためちゃくちゃなインターフェースが懐かしくておもしろいという感覚ですね。これも子供がつくったような、一見ナンセンスな感性を計画的に出しているんだと思うんですけど。

中村
ソットサス自体は、若い頃はバリバリのモダニストだったんだけど、おじいちゃんになってこういうのをやりはじめるんですね。若いデザイナーを集めて。ちょっと意地悪なおじいちゃんですよね。

もうひとつの近代

中村
一般的に、美術学校とかデザイン学校とかでデザイン史というと、このへんの話になるんですね。ですが、実はこれ、大事なところがちょっと落ちていて、それはいわゆる主流に対しての側流というものなんです。カトリックに対してのプロテスタントというか与党に対しての野党というか(笑)モダニズムに関してはひとつの文脈があるわけですね。バウハウス系の人がウルムを引き継いだように、大なり小なり徒弟制的なるところがあるんです。そこで今から紹介するのは、それぞれは直結せずとも、まとめてみるとモダニズムとしての動きがあるものです。

William Morris Kelmscott Press (1894) William Morris Kelmscott Press (1894)

たとえば今の日本では、モダンと言ったときに、大正モダンってどうなるの?といったような話があるかもしれない。それって、禁欲的ではなくロマンチックじゃん?となるかもしれない。また1800年代に話が戻るんですが、代表的なのがアーツアンドクラフツ運動を主導したウィリアム・モリスですね。これは1890年頃で、バウハウスが出てくる以前、ああしてすっきりした意匠に対して、職人技極まるゴテゴテの装飾を入れ込むというものでした。アーツアンドクラフツは、産業革命に出てきた工業製品の品物の出来があまりよろしくないから、手工芸にまた戻ろうというのをやるわけです。ここで肝心なのは、決して工業を否定してはおらず、ただその結果に満足しないならこっちのほうがいいよ、という判断だったということです。

Victor Horta L Hotel Tassel (1893) Victor Horta L Hotel Tassel (1893)

これはモリスの言葉なんですけども、「あなたの家のなかにあなたが美しいと信じないものはひとつも置いてはならない」というものがあります。僕もちょっと反省して、家の掃除をしようと思うんですけども(笑)モリスは先ほどのような、手工芸の極みと言えるような書物をつくったりしていて、職人技のような感じがあるし、あとは壁紙とかも手掛けているんですね。ここでキーポイントとしておもしろいのが、モダニストは都市とか環境といった大規模なレベルになっていたのに対して、モリスは家なんですよね。自分の守備範囲のなかで話をおさめようとしているところは、その思想の対象を象徴しているかもしれないです。そしてこういう、うっとりするようなデザインというのをやっているわけですよね。だから、先ほど大林先生のお話にもあったとおり、長谷川堯という建築家の言葉を借りれば、モダニズムが雄的で男性的なデザインだとすると、こちらは女性的と言える。

Chrisler Building (1930) Chrisler Building (1930)

Frank Lloyd Wright 自由学園 (1921) Frank Lloyd Wright 自由学園 (1921)

アール・ヌーヴォーとかもそうです。パリやブリュッセルで流行ったもので、今見るとクラシックなデザインに見えるかもしれないけども、金属とかガラスを多用しているんですよ。そういう意味では産業革命以降のデザインならです。あるいはそれがニューヨークやロンドンなどの、当時の先端都市にいくと、アール・デコという様式になります。幾何的ではありますが、こういうメタリックな感じ。そうした意味ではモダニズムに共通するんですけども、装飾的に見えるようなものが多いです。なんだか焼き魚のように見えてきますが(笑)、ニューヨークのクライスラー・ビルですね。都内でもいくつか残っていたりして、これは目白にあるフランク・ロイド・ライトによる自由学園 明日館。一見クラシックなデザインにも見えますが、よく見ると幾何的に装飾しているというのがこのあたりの特徴です。1910年から1920年あたりのデザインです。

Frank Lloyd Wright Frank Lloyd Wright

Cassandre Nord Express (1927) Cassandre Nord Express (1927)

Cassandre Yves Saint Laurent (1963) Cassandre Yves Saint Laurent (1963)

Erich Mendelsohn Einsteinturn (1924) Erich Mendelsohn Einsteinturn (1924)

あとは、カッサンドルとか、こういうポスターも、機関車という当時では先端的なものを扱いながらも、幾何形かつ装飾的に処理していく。カッサンドルはイヴ・サンローランのロゴも手がけていますね。これはシンプルといえばそうですが、バウハウスとはちょっと違うタイプで、優雅な印象です。ほかには表現主義建築ですね。奇怪な建物ではありますが、たしかに近代的でもあり、装飾もなければ、コンクリートなどの素材でつくられています。

堀口捨己 紫烟荘 (1926) 堀口捨己 紫烟荘 (1926)

山名文夫 資生堂 (1929-31) 山名文夫 資生堂 (1929-31)

こうした影響は日本にもありました。堀口捨巳が代表的な建築家のひとりです。後半生は茶室研究などをおこなう人物ですが、初期の作風は先ほどの表現主義の建築と類似性がありますよね。堀口捨巳の言葉を引用しますと、「建築は芸術でなければなりません。そしてその芸術とは私は表現であると思ひます。芸術は本能が源でありまして、この本能の欲求によって創作され表現されるのです。」と。自身の表現として建築するという姿勢ですね。コルビジュエのいう工業的であるとか機械だとか、そういう発想とは違う。あるいは資生堂で活躍した山名文夫も、こういう流線的なもの。幾何的に処理はしているんだけども、やわらかい、やさしい表現をしていますね。エレガントというか。

梅田駅 (1929) 梅田駅 (1929)

村野藤吾 日生劇場 (1963) 村野藤吾 日生劇場 (1963)

村野藤吾 箱根プリンスホテル (1978) 村野藤吾 箱根プリンスホテル (1978)

京阪神モダニズムというカテゴリがありますが、すこし前までの梅田駅はこういうデザインがあったりもしました。村野藤吾による日生劇場の階段も、エレガントだなあと見るたびに感動します。いわゆるモダニストたちがシンプルでシャープな方向に行ったのに対して、こうしたエレガントな方向のデザインも確実に洗練されていきます。これが1960年代のことですね。これは箱根プリンスホテルですけども、いわゆる近代建築でありながらも、モダニズム様式とはかけ離れたようなデザインがあったりします。

キーワードを左側と右側で分けてみました。前半が先ほどのモダニズムで使い分けたようなものです。無機的だったり都市的だったり、公共的・インフラ的だったりして、その背景を見ると共産主義・社会主義的だったりする。定着するほど権威的になってきます。都市レベルでやっているものから、必然的に政治的だったり、理性的なところに向かう。

一方で、今お話しした手工芸的といえるようなデザインは、装飾的だったり個人主義的だったり、趣味的・嗜好的な要素があったりしたわけです。たしかに感覚的に、ああきれいだと思えるようなものがあるかもしれないですね。これを右と左で分けたのは、なんとなく意図的だったりもするんですが(笑)、右と左というと見えてくるものがあったりしますよね。

大林
どうですかね、逆な気もするし、なんだからわからないですよね(笑)

中村
だんだんわからなくなってきますよね(笑)

大林
今で言う「ていねいな暮らし」が左側かな?

中村
そうですね、モリスが言うような家になってくるのかなと思います。

大林
生活に根ざしているというところですね。だから、どちらかというとモダニストは理念で突っ走るような人が多い印象なんですよ。すごく理性的なんだけれど、行きすぎた合理性を求めたり、また功利主義的なところがあって、一部の人たちを置いてけぼりにするような暴力性を感じます。

中村
先ほど、丹下健三が都市を眺めているプランの話がありましたが、ああいう視点なのかもしれないです。神の視点ですね。実際に丹下健三は「神のプロポーション」という言葉を残していたりもします。どちらかというとこちらはヒューマンスケールでできているというか、暮らしに直結するような感じはありますよね。

大林
でもこっちの人はこっちの人で暴力性を感じますけどね(笑)

中村
そうですね、先ほどの堀口捨巳が言うところの「本能の要求によって創作され表現される」というところでしょうか。

大林
信念に背くようなことを言うと殴られそう(笑)実際はこっちの人の方が過激派だったりするというのも、おもしろいところです。

折衷するデザイン

中村
先ほどは2分割してみたんですが、実際は折衷するものもあります。再び1990年代の冒頭に戻りますが、1928年、先ほどのヤン・チヒョルトが新しいタイポグラフィとこれからの時代に向けた宣言文を出します。このようにサンセリフ体を、しかもウェイトが強い、濃いものを使って本をつくっています。リシツキーとかの影響を受けているわけですけども、左右非対称の目を引くようなグラフィックデザインが出てきます。

Francis Meynell The Nonesuch Press (1933) Francis Meynell The Nonesuch Press (1933)

Francis Meynell The Nonesuch Press (1933) Francis Meynell The Nonesuch Press (1933)

同じ頃、1933年にはこういう書物も出ています。とてもクラシックな本に見えますよね。フラーロン派というタイポグラフィ集団のひとりであったフランシス・メネルによる出版物です。当時のイギリスの名作文学などをそうした装いに仕立てているんですよね。こうやって見ると、先ほどの表現に比べて古臭いというか、伝統的な印象を受けるかもしれませんが、バウハウスの印刷物は、よく見ると手書きでつくっているんです。一方でこちらは当時最新のテクノロジーだった自動組版機のが使われています。パソコンのようにキーボードがついていて、打ち込めば活字列が鋳造できる。今で言うIllustratorやInDesignのようなシステムでつくっているんですね。こうやって一見クラシックに見えるものが、プロセスにおいて最新鋭だったと。彼らは一見先端的な造形をしているんだけれど、やっていることが実はアナログだったというところがあるんですね。

GaramondとかCaslonとかBaskervilleとか、みなさんのパソコンに入っているような欧文書体は、実際はルネッサンス期だったり、産業革命前のものだったりするんですよ。フラーロン派がおもしろいのは、そのような名作活字を当時の最新技術で復刻するというところです。その恩恵はわれわれのパソコンのフォントリストを見ればわかるとおりで、実際このように、プロセスとしてモダン化していった人たちもいるわけです。

大林
実際システム的につくっていたから、コンピューター時代になって復活したんだと思います。復活する可能性を秘めていたというか。

Jan Tschichold King Penguin Books (1947-) Jan Tschichold King Penguin Books (1947-)

中村
そういう文脈もあるということですね。フラーロン派の影響を受けたか否かはここでは言及できませんが、ヤン・チヒョルトも人生の後半生からは、こういうクラシカルな本をつくりはじめます。ペンギンブックスという出版社で、日本でいう岩波文庫や新潮社といったところでしょうか。そのときに彼は「ニュー・タイポグラフィーにとって代わるものはまだないが、それは広告や端物印刷だけ適したものであることが実証されてきた。書籍印刷の用途、特に文芸作品にはニュー・タイポグラフィはまったく適さない」と言っています。これによりマックス・ビルあたりは、チヒョルトが若い頃の自分自身を裏切った、ということですごく怒るわけです。一方でチヒョルトは、自己批判として言ったとは思うんですが、モダンタイポグラフィは広告や端物には向いているとも言っています。それはある意味、20世紀に生まれたような表現には向いているけれども、それ以前にあった表現には適さないということ。こう見ると、チヒョルトのほうがかなり論理的に考えているように対して、マックス・ビルはどこか感情的になっている印象があります。こちらの論争は日本語訳もあるので、気になる人はぜひ読んでみてください。

堀口捨己 八勝館 (1950) 堀口捨己 八勝館 (1950)

先ほどの表現建築の堀口捨巳も、ある頃から日本の伝統建築を研究しはじめて、晩年にはこういうものをつくっています。昔からあるような建築物なんですが、モダニストたちがつくった数寄屋建築・日本建築というのも一定数存在しています。

ユーザビリティのモダニズム

大林
「民藝」について質問が来ているみたいですね、柳宗悦やバーナード・リーチに代表される民藝の理解についてです。民藝と聞くと、日本に昔からあるものというイメージですが、実はモダニズムを採用しているんですよ。

中村
民藝については第4回の方で触れるので、そちらで詳しく紹介します。

大林
デザインの潮流の変化や回帰、再構築は飽きからくるのか、という質問もありますが、基本はそうだと思います。同じものや様式に触れ続けると飽きるじゃないですか。それによって次を求めていくと思うので。もうひとつは、資本主義と科学主義を組み合わせると進歩主義的なエンジンになるというのもあると思います。新しいものを取り入れると、新しい価値を探さなければいけないというサイクルになってしまうんでしょうね。

いわゆる工業社会が20世紀前半から1980年くらいですが、そのあとにもうひとつモダニズムが起きています。産業革命と工業革命のあとの情報革命ですね。これが1990年代です。そのときに出てきたモダニズムは「ユーザビリティ」という言葉に集約していいじゃないかと思っています。デザインの対象がコンピュータになったというのが前提で、コンピュータとインタラクションするときに触れるユーザーインターフェースをどう考えてデザインするかという話ですが、ここでも同じようなモダニズムが起きました。これをモダニズムという言い方されていないんですけど、個人的にはそう解釈しています。

おもしろいのが、デザインじゃなくてエンジニアリングや認知科学、とくに認知心理学から、デザインの使い勝手とかそういう話が出てきたということなんです。デザインって元々は工芸品と同じような意味で、普段から生活で使うものなのに、その本来の価値である「ちゃんと使えるかどうか」が問題になったのが、今思うと奇妙なところです。これは環境の変化で、誰でも何でもコンピュータを使ってつくれてしまうようになって、デザインを専門としない人がたくさんの業務システムなんかをつくったんですね。それで「システムはちゃんと使えるようにつくらなきゃいけない」という意識が芽生えて、「デザインが大事なんだ」と言われはじめたのが1990年代でした。

昔って、駅の券売機とかATMって使いづらくなかったですか?今はだいぶマシになっていると思うんですけど、ユーザビリティという概念で問題にされはじめて、これが規格化されてモダニズムのような流れになり、暴力性をもって受け入れられていくことになります。昔は自分が気に入った形をしたものを見て「このデザインが好き」とか言っていたと思うんですけど、最近は普通に使えるものじゃないとなかなかいいデザインとは言わなくなって、デザインのリテラシーがかなり変わってきた印象があります。

その流れがすこし変わってきたのが、UXデザインという概念が許容されはじめた頃です。ユーザビリティがユーザーの問題への解決だったのに対して、UXでは問題が広範囲になったというか、解釈が広がりました。先にUIデザインの説明をしておくと、これはユーザーの使うインターフェースのデザインなので、スマホやパソコンの端末の画面を設計するような話なんですが、要するにモニターが出てきてタッチパネルで触れられるようになって、インターフェースという言葉が再定義されたわけです。でも今でだと、机もインターフェースと言ってもおかしくない感じがするので、新しくデザインの領域が広がって、いろいろなものが再定義されたんじゃないかと思います。

それで、UXデザインの話に戻ると、UXというのはユーザーの経験なので、どうにでも解釈ができる。たとえば、ユーザーがある製品に触れるまでの期待をデザインすることもUXデザインだと言えますし、ユーザビリティをちゃんとするのも、製品を使ったときにどう感じるかを考えることもUXデザインです。PASMOで改札を通るときはスムーズに素早く通りたいとか、でも電車で窓の外を眺めているときは優雅な気持ちでいたいとか、いろいろな場面によってモードというか、意識や行動に違いがあると思います。乱暴に言うと、そういったことを十把一絡げに考えてデザインするのがUXデザインなんですが、これは建築とかだと当たり前のことでした。

要するに、ユーザビリティって言いすぎて、使い勝手がよければいいのか?効率的なシステムはできたけどみんなはこれで満足しているのか?という疑問が湧いて出てきたあとのカウンターが、このUXデザインなんだと思います。やはり便利なものは透明化していくので、忘れられてしまいます。ありがたがられないと言った方が正確かもしれません。モダンデザインが盛り上がったあと飽きられていったように、人間本来の目的みたいなところに立ち返ってくる。それで「使い勝手はいいだけでいいの?」となって、UXデザインの需要が生まれたわけです。

どっちが先かはわからないですが、当時ビジネスで求められていた価値でユーザビリティが中心になっていた頃、1990年代あたりは、ソリューションの発想でビジネスをするのが活発でした。それでビジネススクールに行ってMBAを取った人たちが多く活躍してたと思うんですが、今はデザインスクールでデザイン思考を学んで、ビジネスにおけるイノベーションや、もっと広い視野でサステナビリティを考える人が増えました。そうやって30年ぐらいの間に、ゆっくりと求められる価値が変っていったんだと思います。

中村
なにをもってモダン(現代)とするか?というのはキーポイントですよね。先ほどにあったような、表現的な、表面に見えるものなのか、それともそのプロセスなのか、それとも経験的なことなのか。そういうところで、当たり前だけれど現代というのは常に更新されているわけです。モダニズムという様式が、モダンジャズとかモダンアートとかもそうですが、ある時代を特定するようになっているのも、やや不思議な状態なのかな?というところですね。実際にこの産業革命というのを体感的にわかりやすく話すと、今AI時代が目の前に来ている感覚だと思うんですよね。産業革命が起こって、それまでとはまるっきり価値観が変わる。じゃあ現代に最適化されたものってなんだろう?というところでアンサーが出たのが、今日のお話ししたような内容です。

いいデザインとは?

中村
では、いいデザインとはなんぞや?という話になると思うんですけど、これは先ほどのスライドにも出ていた、ミース・ファン・デル・ローエの言葉です。ここで言う建築はデザインでも言い換えられると思います。「建築は文明の表現である。テクノロジーは、過去に根ざしている。それは、現在を支配し、未来へと向かう。それは、真に歴史的な運動である。ある時代を形作り、それを表明する、偉大な運動の一つである。建築は、その時代に基づいている。」というところで。その時代性とか、国ごとの宗教観とか土着性とか、そういうところがいいデザインという価値観を形成していくのかなというのが、今回のまとめとなります。

質疑応答

大林
いくつか質問をいただいているのでお答えしていきます。「最近デザイン性が非常に優れていると思ったものは何ですか?」という質問がありました。これ考えてみたんですけど、そもそもデザイン性が優れているという判断をしていないことに気づいたんですよ。だから、たとえばこれがいいデザインと言われていたら、なぜこれがいいデザインなんだろう?マーケティングかな?とか、分析的に見てしまいますし、悪いデザインの代表として言われる、テレビの複雑なリモコンを見ても、なんとなく縦割りの組織が浮かんでくるような感じで、このボタンがあるのはこういう部署が強いからなんだろうなとか想像しちゃう感じで(笑)でも強いて言うなら、最近身に付けてる腕時計で。これ今している腕時計を外して見せるという、相当趣味が悪いことをしてますけど(笑)、これはすごく気に入っています。

この腕時計は、さっき出てきたマックス・ビルというウルム造形学校の学長が1961年にデザインした時計で、ネジで自動で巻くものなんですけど、スマートウォッチが出てきたあたりに着けはじめて、すごくいいなと思ったんです。理由は、オートマチックなのでネジを巻くために着けて外出するという行為に向かわせるところで、それがすごくよくできたデザインに感じます。時計を止めたくないから身に着ける。電池で動いているやつは、自分が寝ている間も消費してるので、それは無駄な気がして好きじゃないんですよね。

あとは、文字盤に数字が書かれてないのも好きなところで。よく考えると、時間の確認は文字を読んでいるわけではなくて、長針と短針を図として角度を見て判断しているので、この一番ミニマルなところまでフォルムは単純化できたんだと考えました。

中村
僕も、いわゆるデザイン性が優れているという判断基準で捉えていないですね。やや趣味めいた話になってしまうんですけど、フェンダー社ストラトキャスターというエレクトリックギターがありまして。その存在によって、その後のポピュラー音楽のギターの音や演奏法が変わっている。現在、多くの人が連想する「エレキギターの音色」というのは、大体が、この機種や派生系のものによります。見た目も記号的なエレキギターとなっているというか、いまやアイコンになっていますよね。その後の業界の文脈をつくったという意味では、なかなかいいデザインではないでしょうか。

大林
続いて、「海外と日本のデザインの違いを感じることはありますか?」という質問ですけども、僕は、歩きスマホの対策が、各国で違っていたのがおもしろかったですね。日本だと「歩きスマホはやめましょう」ってポスターが貼ってあって、その前を歩きスマホする人が行き来するっていうのをよく見かけてましたけど(笑)、イギリスだと電信柱にクッションみたいなのをつけて、そこに「歩きスマホはやめましょう」という呼びかけが書かれていたりとか、ヨーロッパのどこか忘れましたけど、下を向いている人のために、地面に信号機が埋め込まれている国もあったり。あと中国だと、自転車専用レーンみたいに歩きスマホ専用レーンをつくってる例もありました。やめましょうと言ったところで、実際渋谷駅なんかを見ると80%ぐらいの人が歩きスマホしているじゃないですか?なので僕は歩きスマホスキルを高める方がいいと思っている派なんですけど(笑)デザインとして解決している事例が海外にいろいろあるのを最近知りました。

今日は「いいデザイン」の話をしてきました。その「いいデザイン」を説明するのに、「だってすごくいいじゃん」とセンスや感性で押し切ることも、「なぜこれがいいのかというと、この有名デザイナーがデザインしているからなんですよ」とか、いろいろなファクトを使ってロジカルに説明することもできると思います。次回は、これをセンスとロジックの問題として、果たしてどちらが大事なのか?という話ができればいいなと思っています。ちなみに先に答えを言うと、両方大事です(笑)

デザインのよみかた