デザインのよみかた
トップページに戻る

TEXTS

2023年02月21日 デザイン名著をよみとく #4 ゲスト:平岩壮悟さん

ヴァージル・アブロー『ダイアローグ』

イントロダクション

大林
本日はお集まりいただきありがとうございます。今日はヴァージル・アブローの対談集『ダイアローグ※1』について、編集者・ライターであり本書の翻訳者である平岩壮悟さんと、「デザインのよみかた」の中村将大、大林寛の3人で読み解いていければと思っておりますので、よろしくお願いします。

平岩
よろしくお願いします。ポッドキャストのAFTERNOON RADIO「デザインのよみかた」でヴァージル関係のエピソードは3〜4本あったと思うんですが、これを聴かれた方はどのくらいいらっしゃいますか。

会場
(挙手)

平岩
7割くらいですかね。

大林
ちなみに『ダイアローグ』を読まれた方はどれくらいいらっしゃいますか。

会場
(挙手)

大林
あ、もっと多いですね。ありがとうございます。

はじめに、少し今回の経緯を説明しておきます。いきなりここじゃない書店の名前を挙げて恐縮なんですが、青山ブックセンター本店で「夏の選書フェア」をやってまして、そこに毎回参加させていただいているんですが、去年は『ダイアローグ』を選んだんですね。これは毎年恒例のフェアなので、選者は一年間のまとめとして選ぶことが多いんですが、去年はそのとき読んでいた『ダイアローグ』を勢いで選んだんです。それぐらいの衝撃がありました。もともとヴァージルには興味を持っていたんですが、この本を通じてなんとなくその本質がわかった気がしたんです。

そしたら、その選書にも参加されていた平岩さんが、僕の選んだ『ダイアローグ』をご覧になったみたいで、そのことをツイートしてくださってたんです。しかもわれわれのポッドキャストをお聴きいただいているようなことが書かれていて。それでゲスト出演依頼をしたところ快諾していただき、これまで平岩さんには3回ほどポッドキャストに来てもらって、ヴァージルのお話をしています。それが毎回すごく楽しかったのと、ポッドキャストを聴いていない方にもわれわれの考えるヴァージル像を伝えたいという想いもあって、今回のイベント企画に至りました。

平岩
『ダイアローグ』を出版する前から、大林さんが編集長をされている「ÉKRITS※2」も読んでいましたし、「デザインのよみかた」もリスナーとしておもしろく聴かせていただいていました。なので、すごくありがたい機会だと思って、今回もご一緒させていただくことにしました。

大林
そうなんですね。ありがとうございます。

それで今日の順番ですが、最初に平岩さんから「ヴァージルがデザインしたもの」というテーマでお話しいただきます。その後、大林、中村という順で話をして、最後に質疑応答という流れを予定しています。

それでは、平岩さん、よろしくお願いします。

ヴァージルがデザインしたもの

2023.02.21

平岩
まずは僕の方から簡単にヴァージルの仕事を振り返っていければと思います。『ダイアローグ』を読まれた方はわかると思いますが、服や靴に限らず、色々なものをデザインしてきた人です。今日はそのバリエーションというか、幅の広さをご紹介できればと思います。

これがヴァージルの一番最初のソロプロジェクト「PYREX VISION」です。YouTubeのビデオクリップとともにアパレルもローンチしたもので、ファッション好きの間で一気にカルト的な人気となったヴァージルの誕生。その第一歩がこれですね。

PYREX VISION PYREX VISION

OFF-WHITE時代、もっともアイコニックだったのは「The Ten」シリーズです。これはNIKEのエアフォース1とかエアジョーダンとか、そうしたシグネチャーシューズをヴァージルお得意の3%ルールでいじって、10種類デザインするという試みでした。

The Ten Nike and Off-White: The Ten

このエアフォース1は、2019年にシカゴでヴァージルの回顧展が開催されたときに、その会場で働く清掃員のためにデザインしたものです。あの青くて分厚い図録『Virgil Abloh: Figures of Speech※3』をご存知の方もいると思いますが、そのときの展示ですね。

これは本当に最近になってから一般販売されるようになったのですが、2019年からしばらくは、その清掃員たちしか持っていなかったものです。だからファッション好きの間で清掃員や監視員が、ファッションアイコンというか羨望の的になったんです。みんな一緒に写真撮ったりして。すごくいいエピソードですよね。

Nike Air Force 1 Low Off-White Brooklyn The Ten - Nike Air Force 1 Low Off-White Brooklyn

それからヴァージルはコラボレーションもよくやっています。IKEAとのプロジェクトが一番有名かなと思います。カーペットやベッドシーツなど、いろいろありました。家具のコラボレーションは他にも手がけていて、これはvitraとのコラボレーションですね。これはコラボレーションではないですが、ヴァージルオリジナルの、Grey Areaという名前で出ている椅子やテーブルのシリーズです。これ、めちゃくちゃかっこいいんですけど、まあ高くて、20、30万円くらいします。ときどきヴァージルの個人ページである「Canary Yellow」で販売しているので、欲しい方は頑張れば買えますよ(笑)

MARKERAD IKEA and Virgil Abloh MARKERAD limited collection

TWENTYTHIRTYFIVE

TWENTYTHIRTYFIVE TWENTYTHIRTYFIVE by Virgil Abloh c/o Vitra

平岩
あとヴァージルはCDジャケットやマークなどのグラフィックスも手掛けています。時系列的には「PYREX VISION」を立ち上げて独立する前になりますが、カニエ・ウェストのパーソナルクリエイティブディレクターをDONDA所属でやっていました。

My Beautiful Dark Twisted Fantasy left: Kanye West My Beautiful Dark Twisted Fantasy, right: Yeezus

Watch the Throne Jay-Z and Kanye West Watch the Throne

これはJay-Zとカニエのアルバム『Watch The Throne』のジャケットです。ヴァージルがディレクションに入ってリカルド・ティッシを起用し、ツアーの販促グッズ、アパレルなどのデザインを一貫して手がけたんですよね。CDジャケットからグッズ周りまでデザイナーを入れるという流れはヴァージルが始めたもので、これがその後の音楽業界のスタンダードになったんじゃないでしょうか。

ルイ・ヴィトンのクリエイティブディレクターに就任してから最初に手がけたキャンペーンビジュアルがこちらです。最初の3シーズンくらいは、男性の青年期をテーマしていたのですが、ここに写っているのは赤ちゃんですよね。実はこの子供はスーダン難民の、しかも女の子らしいんです。この次のシーズンになると、高校生とか中学生くらいのモデルになるんですけど、要はマスキュリニティや男性性のようなものが、先天的にあるものではなく社会生活の中でだんだん作られていくということを言っているんだと思います。これはメンズの広告なので当たり前に男の子だと思ってしまうけど、そこがトリックというかひっかけみたいになっていて、言われないとわからない。僕の好きなキャンペーンのひとつです。

Virgil Abloh's First Ad Campaign for Louis Vuitton Men's Virgil Abloh's First Ad Campaign for Louis Vuitton Men's

それから、これはバカラとのコラボレーションです。バカラなのにチープな感じなのがいいですね。この背景とかシェイプはすごくチープなんだけど、グラスは一流という(笑)

Baccarat ceiling, vases and glasses designed by Virgil Abloh Baccarat ceiling, vases and glasses designed by Virgil Abloh

次に、これはメルセデスベンツのマイバッハプロジェクトとのコラボレーションです。ちょうど今年日本にも来ていましたね。内装はこんな感じで、同時にアパレルも展開していました。

Limited Edition Maybach by Virgil Abloh

Limited Edition Maybach by Virgil Abloh Limited Edition Maybach by Virgil Abloh

これはevianとのコラボレーションです。evianの仕事も2、3回手がけています。これはイタリアのカトラリーブランド、アレッシイとのコラボレーションです。フォークとスプーン、ナイフが一体化して束になっているようなものですね。

Virgil Abloh's limited edition glass bottle for evian Virgil Abloh's limited edition glass bottle for evian

Occasional Object Occasional Object by Virgil Abloh x Alessi

これはアートワークで、一応は美術作品として作っていますが、「Hacienda」という伝説的な音楽ヴェニューを持ち運びできるようなポータブルなものにして作品化していて、アートバーゼルにも出品しています。見ての通り広告っぽいモチーフやフォーマットを使ったものです。先ほど紹介したルイヴィトンのキャンペーンとも通じますが、広告もひとつのメディアとして捉えているのがわかります。

Hacienda by Off-White Ben Kelly & Virgil Abloh Hacienda by Off-White

Kaleidoscope Issue33 at Spazio Maiocchi Kaleidoscope Issue33 at Spazio Maiocchi

これは彫刻作品です。シカゴで行った個展のときの写真ですかね。後ろにある文字も作品の一部なんですが、この作品は、人種ごとの身体に染みついたポージングというか、自然に出る立ち方や、座り方があるという話から着想を得て作られています。これはたしか建築家のレム・コールハースが『ダイアローグ』対談の中で絶賛していましたね。

You're Obviously in the Wrong Place Virgil Abloh You're Obviously in the Wrong Place (Courtesy of Gymnastics Art Institute)

ミュージックビデオの監督と撮影も担当しています。これはA$AP Rockyと最近第二子を産んだリアーナ姉さんが出演する「Fashion Killa」ですね。リアーナとA$AP Rockyがデートして、服を試着したり、買い物をしています。ちょうど10年前ですね。最後にグラフィティライターのKidultが、シャネルとかハイブランドのお店にペンキを噴射してグラフィティを描き残していきます。

Youtube: A$AP Rocky Fashion Killa (2013)

大林
これ、最後に‘ART’ って描くんですよね。

平岩
それから、これは結構マニアックかもしれないですが「Delicate Limbs」という曲で、歌自体はフィーチャリングでラッパーに歌ってもらっているんですが、なんとヴァージルの作曲です。

Youtube: Virgil Abloh Delicate Limbs ft. serpentwithfeet (2013)

そしてこれはドレイクのプライベートジェットですね。

Air Drake Air Drake

大林
AIR DRAKE!

平岩
機体の下の部分にヴァージルのシグネチャーとしてクオーテーションが入っていますね。ここにはドレイクの曲の一節が引用されているのですが、これを読んでいるころにはもう飛び立ってしまっているという(笑)

デザインといっても外側のラッピングをしているだけなんですが、それでもヴァージルらしさがわかります。

それから、これはデザインというよりも、組織を作った例なのですが、亡くなる一年くらい前に「POST-MODERN」という奨学金制度を立ち上げています。

“Post-Modern” Scholarship “Post-Modern” Scholarship Fund by Virgil Abloh

タイミングをふまえると、もしかすると自身の余命を予期していたのかもしれません。主にファッション業界を目指す黒人、有色人種の若者たちを対象としたもので、すでに2、3年続いているものです。『ダイアローグ』でも語っていますが、こうした後進の育成や、自分のことをインターネット上にオープンソースとして残すなど、教育的なことに対してはかなり意識的な人だったのかなと思います。教育というと、少し硬いですが。

最後に、これが一番強烈ですが、ヴァージルによるNFTアートのコンセプトボードというか、一応作品でしょうか。

Self Portrait Virgil Abloh Self Portrait

タイトルは「自画像」となっています。ルーブル美術館のガラスのピラミッドに、ニューヨークかどこかの超高層ビル群が突っ込んでいます。

Archive / Reference / Generic

Archive/Reference/Generic

大林
平岩さん、ありがとうございました。

僕からは“Archive / Reference / Generic”という、3つのいわゆる「ヴァージル語」から『ダイアローグ』について読み解いていければと思います。ヴァージルの場合、ファッションやアート分野ではある程度評価されているんですけど、デザインの分野からはあまり言及されていないように感じます。なので、ここではデザイナーとしてのヴァージル・アブロー像を見ていければと思っています。

Archive/Reference/Generic


Modernism

その前に、まず整理しておきたいのがモダニズムについてです。モダニズムという言葉はちょっと厄介で、モダンというは近代・現代のことですから、それがいつかというと基本的には「今」のことなんですけど、歴史的には「この頃がモダニズムの絶頂期だよね」と言われたりして、結構不思議な言葉です。

Modernism

一般的にモダニズムというと、産業革命以降のアートや建築、デザインが、まだ渾然一体としていた20世紀初頭から中盤のイメージがありますよね。まだその時代は情報が共有されて行き届いていなかったから、いろんな分野が横断して同時多発的なモダニズム運動になっていったんだと思います。なので、実際にはその時々の情報環境によって、モダニズムは起きていると言えます。新たなテクノロジーが産業のインフラとして定着して、その中でできてくる様式がモダニズムである。ここでは、そんな認識で捉えておくのがいいんじゃないかと考えています。

たとえばデザインであれば、誰も気に留めないような存在になるぐらい透明化して、それがデフォルトの状態になっていく。そういった様相がモダニズムということになります。とはいえ、みんな退屈が嫌いなので、最終的に離散化して、ポストモダンになっていく。20世紀には、このような連続的な運動が一体となって起きていましたが、今はもっとバラバラにいろんなところで起きていて、そのなかのひとつがヴァージル・アブローのモダン性じゃないかなと思います。

少し極端な例ですけど、回転寿司で炎上するような変なことをする人たちって、僕の地元では普通にいたんですよ(笑)それが大事に至らなかったのは、今と情報環境が違うだけのような気がします。要するに、動画として拡散する情報環境があるから顕在化するようになっている。それぞれの情報環境ごとにモダニズムがあるんじゃないかと考えています。

『ダイアローグ』の中で、モダニズムに触れている部分が結構あるので、いくつか紹介します。

私はモダニズムに惹かれていました。
インターネットが広く普及した時代にも通用する芯のある思想だと感じたんです。
『ダイアローグ』39p

私にとってモダニズムは、ひとつの更新(アップデート)のようなものです。
この特異な時代に生まれた人間は、過去をダウンロードし、新しいオペレーション・システムを提供していく。iPhoneみたいなものです。
『ダイアローグ』39p


Archive

ここからは"Archive / Reference / Generic"という3つのキーワードから、順番にヴァージル・アブローのデザイン観、そしてデザイナー像を読み解いていきます。まずはArchiveです。Archiveということば自体は『ダイアローグ』の中では、そこまで使われていないですが、彼のデザインにおいてアーカイブが非常に重要だと認識していた印象があります。これについても、引用を紹介しながら見ていきたいと思います。

ショーは服よりも大切なものです。ショーは記録装置であり、私たちの存在をファッションの一部として記録しますから。
『ダイアローグ』p.24

ここで「記録」とされるのが、Archiveにつながるキーワードだと思います。

私の作品の肝のひとつは、制作過程を公開することにあります。
『ダイアローグ』p.50

プロセスを記述して見せるということですね。

過去の仕事は要約し、型(フォーマット)に落とし込まなければなりません。
『ダイアローグ』p.148

これもアーカイブのことを言ってるんじゃないかと思います。

ではヴァージルは実際にどんなアーカイブをデザインしたのか見ていきましょうか。まずは先ほど平岩さんも紹介されていたヴァージルの個人サイト「Canary yellow」。これはデザインが切り替えられるようになっていて、左側がプレビューつきの表示、右側がリスト表示のモードです。他にも『ARTWORK』では、プロジェクトリストや、彼自身の渡航記録がインフォグラフィックス化されています。

Canary Yellow Canary Yellow

Artwork Virgil Abloh Artwork

この『ARTWORK』という本には、たとえば画像ファイルが75万4420枚、4.07TB以上という感じで、色々なプロジェクトでつかったファイル形式別の総容量もアーカイブされています。こうやって極端にアーカイブしていくと、それ自体がアート性を帯びていくのがおもしろいところです。他にも、ヴァージル自身が使用していたスマートフォンやPC、HDDも写真で記録しています。

Artwork

Artwork

Artwork Virgil Abloh Artwork

こちらも平岩さんが紹介されていましたが、「POST-MODERN」という奨学金制度の資料の一部で、こうしてインフォグラフィックス的にアーカイブしています。

POST-MODERN Virgil Abloh POST-MODERN

このあたりのプロセスのアーカイブに大きく影響を与えたのは、レム・コールハースじゃないかと思います。彼の建築設計事務所はOMAといいますが、それを逆さ読みしたAMOというリサーチ機関も運営していて、そこで発行されている「AMO Atlas※4」をヴァージルが参考にしたんじゃないかと思います。

AMO Atlas AMO Atlas

あとこれは同じくレム・コールハースの『CONTENT※5』という本のアーカイブ資料になります。

Content Rem Koolhaas Content

平岩
この『CONTENT』は、コールハースが作った雑誌みたいなものですよね。 ヴァージルも大学生の頃の愛読書だと言っていました。

大林
そうなんですね。まさにヴァージルのまとめ方が『CONTENT』っぽいなと思って紹介しました。

こうしてプロセスを記述することに関するヴァージルの引用を紹介します。

プロセスそれ自体が作品なわけです。物(オブジェ)だけでは決して作品になりません。
『ダイアローグ』p.107

もうこの一言に尽きるんじゃないかなと思います。

ここで昨今のデザインの流れに寄せて、ヴァージルなりのデザイン論をもう少しだけ明快にできればと思います。

今世紀に入ったあたりから、デザインの界隈では「モノからコトへ」というのが一種の殺し文句みたいになっていて、要はプロダクトからサービスに変わっていくという解釈で理解されています。それを説明した図が、デンマークデザインセンターによる「デザインラダー※6」です。

The Design Ladder Danish Design Centre: The Design Ladder

これを見ると、ステップ2が「かたちを与えるデザイン」となっています。スタイリングのためのデザインですね。この意識は、20世紀における我々の意識のことだと思います。

それからステップ3で「プロセスとしてのデザイン」となる。ここのアップデートが「モノからコトへ」とか「DX」とか言われているもので、ビジネスのニーズと合致したデザインの変化じゃないかと思います。これが現在の情報環境におけるデザインのあり方ということで間違いないと思います。

ここで改めてデザインの原義の話をしておきます。

次の図は、デザインの原義を単純化したもので、プラニングがあってプロセスがあってオブジェクトができるというイメージです。20世紀から21世紀にかけてデザインの価値がどのように変わってきたかというと、まずはオブジェクトを作るところからはじまって、だんだんとプラニングが大事だよねという話になっていって、今はプロセスが重要でしょ、となっているという感じです。

デザインの原義によるイメージ デザインの原義によるイメージ

プロセスを記述しつづけることで、その記述自体がデザインになっていくからこそ、デザインにはリサーチが重要で、それをアーカイブすることも必要になってくる。ヴァージルはこれを自然と理解していたのではないかと思います。

やや余談ですが、今から60年前に磯崎新さんが「プロセス・プラニング論※7」というものを提唱しています。

プロセス・プランニング論 磯崎新のプロセス・プランニング論

通常の建築では、オブジェクトを作ること、つまり空間の中でいかに建築物を作るかが問題になります。だけど磯崎さんはプロセス、要するに時間を設計するということをしていて、時間を途中で切断したところにできたオブジェクトを完成とするという考え方をしています。これは図書館のプロジェクトだったらしいんですけど、単純に予算が流動的だったようで、苦肉の策だったみたいですね。だから完成図を作るのを目的とせず、あくまでもプロセスをプランニングするんだというコンセプトを作ることになったそうです。これは1962年の話ですが、すごく今っぽいというか、今見ても新しい考え方だと思います。

平岩
なるほど。おもしろいですね。

大林
なぜ磯崎さんの話をしているかというと、おそらく磯崎さんはコールハースにかなり影響を与えているんですよ。そしてコールハースはヴァージルの対談相手でもある。

平岩
おじいちゃんと孫の関係ですね。

大林
そうそう、本当に(笑)


Reference

大林
以上が「Archive」についての話で、次は「Reference」について話していきます。「Reference」という言葉は『ダイアローグ』にも頻繁に出てくるので、また引用を紹介しながら見ていければと思います。

(イケアの調査プロジェクトでまとめた資料集について)
有名なデザインから歴史的な側面がもつエネルギーを取り出し、それを若い世代になじみの深いものに置き換えるというアプローチです。
『ダイアローグ』p.63

「作品の背景(リファレンス)がわからない」からといってバカにされることなく、だれもが美術館を楽しめるようにしたいんです。
『ダイアローグ』p.154

参照しているのはインターナショナル・スタイル、モダニズム、そしてバウハウスです。
『ダイアローグ』p.32

「ストリートウェア」という言葉の狙いは、永遠に存在する新しい参照点を作ることにあります。
『ダイアローグ』p.32

参照点。つまり参照する、リファレンスする場を作るということですね。

ここでまた余談になりますが、リファレンスを理解するために、ファッションにおけるアメリカントラッドの系譜を参照するとおもしろいかなと思ったので、少し紹介させてください。アメリカントラッドは、日本がアメリカをリファレンスして、それがもう一度アメリカに逆輸入された構図になっています。

そのきっかけとも言える「みゆき族」は、当時最新のスーツを着て銀座にたむろしてガールハントをしていました。そういえば、昨晩たまたま話をしてた新宿ゴールデン街のバーテンダーが元みゆき族で、話を聞いたら「当時からガールハントって言うやつはダサくて、俺たちはナンパと言っていた」と胸張って言われて、その美的感覚が全然わからなかったんですが(笑)

平岩
もうその頃にナンパって言葉があったんですね(笑)

大林
とにかく風紀を乱して評判がよくなかったらしい不良ムーブメントの「みゆき族」ですが、重要なのは彼らを中心にアイビーファッションが流行っていたということです。ご存知の方も多いと思いますが、アイビーファッションの先駆者はドメスティックブランドのVANで、アイビールックの人たちがリファレンスしていたのが、当時『婦人画報』の別冊の『男の服飾』という雑誌。これが後の『MEN’S CLUB』です。実はこの編集部とVANの人たちって同じメンバーで、つまりブランディングとエリアマーケティングを同時にやって界隈を牛耳っていたことになります。

当時のアイビールックはダンディズムの極みという雰囲気なんですが、彼らがリファレンスしていたのがアメリカで流行っていたトラディショナルなファッションスタイルで、これがアメリカントラッド、通称アメトラです。ジェントルでダンディーなところを目指していた彼らからすると、「みゆき族」は品がない存在だったのかもしれません。それで『MEN’S CLUB』を通じて、アイビーを啓蒙していた彼らは、あるとき現地のアイビーカレッジでしっかり取材をすることになります。それをまとめたのが『TAKE IVY※8』という本でした。

TAKE IVY 林田昭慶/石津祥介/くろすとしゆき/長谷川元 TAKE IVY (1965)

『TAKE IVY』の中身を見るとわかるんですが、わりと普通のお兄ちゃんたちが写ってるんですよ。つまり、VANの人たちが教則にしていたような人はどこにもいなくて、一体何をリファレンスしていたのかわからない状態なんです。僕らがファッション誌で見てきたような「ペニーローファーを素足に履くのが粋なのです」とか、そういうのは勝手に言っていただけで、日本特有のたらこスパゲティ的なリミックスカルチャーなんだと思うんです。

だけど、この『TAKE IVY』は、アメリカのアイビーカレッジのごく普通のキャンパス風景を、わざわざアーカイブしていたというのが珍しくて、今アメリカで貴重なリファレンスにされているみたいなんですね。それでアメリカに逆輸入されたアメリカントラッドが、THOM BROWNEの2000年前半から中盤くらいのコレクションで参照されていたとも言われています。

それで、何が言いたいかというと、こうしたオリジナリティとかオーセンシティというものが、いかに不確かかということを、ヴァージル・アブローは理解していたんじゃないかということですね。『ダイアローグ』の中にもおもしろい発言がありました。

(「オリジナルであることはもはや重要ではないのでしょうか?」という質問に対して)この質問は太字にしておいてください。
『ダイアローグ』p.31

と言っていて、実際にに平岩さんは太字にされていました(笑)

平岩
そりゃ、しますよ(笑)

大林
他にも紹介しますね。

私はサンプリング文化の出身です。もしルーチョ・フォンタナやアレクサンダー・カルダーのような作品を作ったとしたら、それはわかったうえでやっているんです。
『ダイアローグ』p.165

やっぱりヴァージルはヒップホップカルチャーから出てきた人なので、おそらく何かをリファレンスにするのは日常的というか、無意識にやっていたんじゃないかと思います。

ここで、ご存知の方も多いと思いますが、ついでにヒップホップのサンプリングが、どんな風にリファレンスされているのかを紹介しておきます。

1990年代くらいから「サンプリング・ディクショナリー」というのがあって、ヒップホップのアーティスト名から元ネタを探すものと、これの逆引きバージョンが存在していました。当時のDJやトラックメイカーの人は大体持っていて、これを参考にしながら元ネタを調べたり、まだ元ネタとして使われていないものを調べるという使い方をしていました。先ほどのアーカイブにつながるような作業がリファレンスの前にあったということですね。今だと“WhoSampled※9”というウェブサイトの情報が充実しています。

それでトラックメイカーは、どんな作業をするかというと、レコードからサンプリングしたい音をAKAIのMPCのようなサンプラーに取りこんで、パッドに音を割り当てます。今度はそれを叩いて組み合わせながら曲を作っていく。ProToolsを使う場合は、タイムラインを見ながら波形を編集していくという感じです。

じゃあ次に、これまでヴァージルがどんなリファレンスをしてきたのか見ていきましょう。これはルイ・ヴィトンの2019 S/Sメンズコレクションです。

Louis Vuitton Men’s Spring-Summer 2019 Collection Louis Vuitton Men’s Spring-Summer 2019 Collection, Photo: Imaxtree

おおむね評判はよかったんですが、この虹色のランウェイのデザインに対して批判がありました。つまり、過剰にジェンダー問題を意識して、安易に多様性を表現してると捉えられていたんですね。でも、実はそんなに単純なものではなくて、ピンク・フロイドのアルバム『狂気』のカバーアートをリファレンスにしてるんです。

The Dark Side of the Moon Pink Floyd The Dark Side of the Moon

先ほど平岩さんが紹介されていた「自画像」という作品がありましたけど、 パリといえばルーヴル美術館、ルーヴルと言えばガラスのルーヴルピラミッド。そこに反射してプリズム分解された七色の光がランウェイに映りこんでいるという表現だったんですよ。

中村
蓋をあけてみれば、ジェンダーとか多様性とかではなくプログレだったと(笑)たしかに単純なリファレンスではないですね。

大林
ここに入射しているのがヴァージルで、その光源がアメリカから届いたということなんですよね。だから、当時そういった批判を見ながら「違うのにな…」って思ってました(笑)

会場
(笑)

大林
そんなわけで、「Reference」というキーワードで見てきました。

現在の情報環境だと、昔よりも色んなものがリファレンス可能なわけなので、ヒップホップカルチャーに慣れ親しんだヴァージルは、かなり無邪気にサンプリングをしていたんじゃないかなと思います。あとは、おそらく彼自身もリファレンスの対象になることを理解してオープンだったというのが、かなり重要です。

それを表したのが、次のキーワード「Generic」です。


Generic

大林
これまで紹介した3つの中でも、おそらく「Generic」は最重要キーワードです。ここでも引用を紹介させてください。

オフ・ホワイトはまっさらなキャンバスです。無数のアーティストがそれぞれの価値と意味を書き加えることができる生成り(オフ・ホワイト)の素材なんです。
『ダイアローグ』p.43

(オフ-ホワイトが誰でも好きに自分の持ち物にプリントできることについて)それこそがファッションのすばらしいところです。アートよりずっと多くの接点をもっているわけです。
『ダイアローグ』p.165

私たちの道具はレディメイドだったんです。私たちにとっての白紙は、アメリカンアパレルやチャンピオンでした。
『ダイアローグ』p.21

(オフ・ホワイトがモチーフとして使う)斜線は無印(ジェネリック)ですよね。
……根幹にあるのは無印性(ジェネリックネス)を受け入れるという考えかたです。
『ダイアローグ』p.54

ノームコアについてもヴァージルは庇護しています。

(ノームコアについて聞かれ)無印(ジェネリック)はクールで、匿名であることはすばらしいという価値観です。
『ダイアローグ』p.55

それから、ヘルベチカ。ヴァージルは彼が大好きなヘルベチカについて、こんなことを言っています。

もっとも無印(ジェネリック)なフォントです。安定していて、意匠もない。
『ダイアローグ』p.57

ヘルベチカは洗練されていて、非常にすっきりしたフォントです。そこにはソウルやジャズ、ファンクの欠片もありません。
『ダイアローグ』p.159

おそらくヘルベチカは、ヴァージルの出自であるアフリカンアメリカンというエスニシティを脱色するタイプフェイスとして、機能していたんじゃないかと思います。『ダイアローグ』でも言及していましたが、ル・コルビュジェにとっての白大理石とか、あるいはミース・ファン・デル・ローエにとってのIビームみたいな感じで、ヴァージルにとってのヘルベチカがある。それぞれの時代の環境の中で、それ自体の存在が透明化して意識されなくなるマテリアルを使う。そうすることで、それ以外の価値が前景化してくるんですよね。​​

物(オブジェ)や人を台座に乗せるよりも透明性を高めることのほうがよっぽど現代的だと思います。つまりそれは、矛盾や自分の知らないことに対して、オープンで誠実な態度をとるということです。
『ダイアローグ』p.164

これはまさにヴァージル哲学を言い表しているような引用じゃないかと思います。

私がやろうと思っているのは、語彙(ボキャブラリー)を増やし、同じ遺伝子を継ぐ仲間の輪を広げていくことです。
『ダイアローグ』p.35

これはヒップホップっぽいですね。

私は自分が知的財産権をもっているとは考えていません。また、知的財産権のあるものがよい作品だとは思いません。
『ダイアローグ』p.109

こんな考え方でヴァージルは「Generic」というものを捉えていました。

おもしろいのは、ヴァージルのデザインについて、勝手にガイドラインを作っている人がいるんですよね。ここからはヴァージルのデザインを色んな人がジェネリックに模倣した例を見ていきたいと思います。

平岩
こうすればヴァージルっぽい、みたいな。

大林
ですね。ヴァージルではない人たちがヴァージルっぽいものを作ってます。こんなかたちでグリッドシステムやタイポグラフィ、それから配色とか構成要素ついて数値化・マニュアル化されたり。

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

あとはこういうフライヤーやウェブサイトとか、スライドショーとかもありますね。ヴァージルならこう作るんじゃないかという作品を色んな人が作っているわけですけど、特にクレジットも記載されていなかったりして、誰が作ったかはわからないものが多いです。

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

あ、このウォールペーパーは、僕も使っていました(笑)

Virgil-ish template

Virgil-ish template

Virgil-ish template

もうこの辺りになると、クレジットがヴァージル・アブローになっているので、ジェネリックなのか本物なのかわかりません。

ちなみに、このピンク・フロイド風のウォールペーパーは、ルイ・ヴィトンのVとルーヴルのピラミッドが重なっていますね。きっとさっきの元ネタがわかった人がやっていますね。

Virgil-ish template

これはヴァージル本人が作って公開してたウォールペーパーなので、もう真贋が余計わからなくなってるんです。

Virgil-ish template

そして、何より『ダイアローグ』のブックデザイン自体がジェネリックなのには、ちょっと感動しました。この本は日本オリジナル編集なので、元のデザインがあるわけではないはずなんですけど、こうやって作ることができるわけですよね。

Dialogues

さらに今日のイベントの告知ビジュアルや、スライドフォーマットも、われわれで作ったジェネリックなものです。

How To Read Dialogues

こういうことをしても怒られなさそうというか、ヴァージル自身がこういった行為を認めているからこそ、どんどん真似されてるんじゃないかなと思います。

では、引用の紹介に戻ります。

(盗用しているのではなく)付け加えているんです。ひとりがアートをつくれば、それを基に別の人物が発展させられる。
『ダイアローグ』p.34

まさにこの通りですよね。

それから、ヒップホップカルチャーでのジェネリックな事例として、Type Beatというものも紹介できればと思います。たとえば、カニエ・ウェストとかドレイクとか、それらしい型、その「タイプ」のビートを作って、アマチュアからプロのトラックメイカーまで玉石混交な状態で公開されているんです。これは違法にも思えますが、ヒップホップはリーガルよりもマナーの方が強いカルチャーなので、リスペクトがあればとりあえずOKということになるんですね。もし気に入った音源があれば、制作者にPayPalやStripeで送金して使えるんですけど、これがちょっとした経済圏になっています。

Type Beatを取り扱うウェブサイトには、BeatStars※10やSoundClick※11やAIRBIT※12といったものがあります。

BeatStars

SoundClick

AIRBIT

さっき平岩さんも紹介したA$AP Rockeyが、自分で「A$AP Rocky Type Beat」と検索して見つけたものを使ってアルバム収録曲にして、アーティスト側がType BeatをOKにしてしまって、それで市民権を得たという経緯もあったりします。

なので、多分ヴァージルの革新性みたいなものは、ヒップホップカルチャーでは普通の行為をデザインに見立てただけなんじゃないかなとも思います。


Virgil Abloh’s 3% Approach

では最後に、有名なヴァージルの3%アプローチについて触れていきます。

これは『ダイアローグ』のひとつ前に、同じアダチプレスから刊行された『“複雑なタイトルをここに”※13』からの引用です。

今では何かを作るとき、原型の3%をエディットすることしかなくなった。……すでにある形にほんの少し手が加えられた状態が面白いんだ。
ヴァージル・アブロー『“複雑なタイトルをここに”』

3%アプローチというのは、既存のものを3%だけ変えるというやり方です。この3%に対する97%がジェネリックだと気づいたところが、ヴァージルのすごいところじゃないかと思います。

つまり、3%がクリエイティビティということなんですが、これを『ダイアローグ』ではどんな単語で表現していたのか、紹介していきます。もちろん「クリエイティビティとは◯◯である」と答えが出せるような話ではないのですが、その答えに触れるヒントという感じで聞いてみてください。

“編集(edit)”

“文脈(context)”

“参照体系(reference system)”

“意図/目的(intention)”

“ユーモア(humor)”

“威光(halo)”

“ロジック(logic)”

“アイロニー(irony)”

“アイデンティティ(identity)”

“矛盾(contradiction)”

“パラドックス(paradox)”

こういった言葉で、ヴァージルは3%について表現していました。

というわけで、"Archive / Reference / Generic"というキーワードから、ヴァージル・アブローのデザインにおける革新性、それからモダンデザイン性について読み解いいきました。

ここまでの話をまとめます。ヴァージル・アブローは、過去のアーカイブをリファレンスしながら、自らのプロセスを記述してアーカイブすることで、自らもジェネリックな存在となって、リファレンスされるようになる。そんな態度でデザインをしてきた人じゃないかと思います。だからこそ、亡くなってアーカイブなった今も、その存在がおもしろがられているように感じます。

もうひとつ重要なのは、自らがオリジナリティを持った作家だと考えていなかったことだと思います。ヒップホップマナーで当たり前にサンプリングしつつ、気を衒わず、それをデザインに見立てていったことが、ヴァージル最大の魅力ではないでしょうか。

以上、僕が『ダイアローグ』から読み解いたことでした。

Artwork

最後に、この写真は僕がヴァージルの『Virgil Abloh: Figures of Speech』を手に取って撮影したものです。持っているのが僕の手で、図版がヴァージルの手ですね。このエフェクトがヴァージルっぽいというか、これがコンセプチュアルな3%の部分ですよね。

そう言えば、前に平岩さんから教えていただいた“You can do it too.”という言葉があるじゃないですか。

平岩
ルイ・ヴィトンの最初のコレクションの直後で、ヴァージルが自身のインスタグラムアカウントに、ショーの写真と一緒に載せたのが“You can do it too.”という言葉だったんですよね。「君もできるよ」と。

大林
「このやり方なら」ってことですよね。まさにヴァージルのデザインは、それを体現していたんじゃないかと思います。

以上になります。ご清聴ありがとうございました。

モダニズムとデザイン 典型——オープンソース

Design and Modernism

中村
最後に中村から話をしていきたいと思います。

ここでヴァージル・アブロー濃度はかなり低くなります。とはいえ、彼の参考としていたモダンデザインとは、いったいどんなものだったのか、デザインとモダニズムの関係について、改めて考える機会にしていきたいと思います。

先ほど大林パートで紹介していた"Archive / Reference / Generic"からなるヴァージル流のデザインメソッドがありました。ここで話されていた文脈や感覚を大局的に見ると、デザインにおける「モダニズム」のありかたそのものだと言えるんじゃないかという気がしてくるんです。

いわゆるデザイン史というのは、どうしても意匠の様式で捉えていく傾向があります。アールデコとかロシアアヴァンギャルド、スイスタイポグラフィというように、外観的な特徴で見られていくんですね。だからモダニズム様式の次はポストモダン様式というようになるんですが、実際モダニズムというのは、内在的なモダニズム性がずっと繰り返され続けることで更新されていくのではないかと思うわけです。

今回は最初にジャズミュージシャンの菊地成孔さん、大谷能生さんのことばを引用します。

およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である。
菊地成孔、大谷能生※14

つまり、誰の視点で歴史があるのかということが重要なんじゃないかと思うわけです。他にも20世紀前半に活躍したタイポグラファ スタンリー・モリスンは「歴史を見ることで先に進むことができる」というような趣旨の発言をしていたりします。

僕のパートでは「典型——オープンソース」をキーワードとしました。ここで言う「典型」は、まさに先ほどの大林パートで言うところのArchive / Referenceであり、「オープンソース」はGenericにあたると考えています。

それでは、よろしくお願いいたします。


モダンデザインと「典型」

中村
デザインのモダニズムについて、いま一度考えてみたいので、まずはどんなものがモダンデザインとされているのか、少しだけ交通整理をしておきます。

最初にミース・ファン・デル・ローエとフィリップ・ジョンソンによるシーグラム・ビルディング。それから、ブラウンのLE 1。あるいはヨゼフ・ミュラー=ブロックマンによるノイエ・グラフィークに、ヤコブセンのセブンチェアとか柳宗理のカトラリーとか、先ほどから話に出てきているヘルベチカ。他にもたくさんありますが、大体このあたりを紹介すれば、その全体像は掴めると想像します。こうしたものがモダニズム、モダンデザインの典型ですね。

Seagram building Mies van der Rohe & Philip Johnson Seagram building

Braun LE 1 Dieter Rams Braun LE 1

Neue Grafik Josef Müller-Brockmann Neue Grafik / New Graphic Design / Graphisme Actuel

Helvetica

これらのほとんどは、大体1950年代から60年代、つまり20世紀半ばにできたものです。2020年代現在の感覚としては、見慣れたものというか、当たり前のものとして見えるのではないでしょうか。

ところでモダンデザインが何かというと、解釈の幅がかなりあって、たとえば産業革命以降から話を始める人もいれば、第一次世界大戦くらいから本格化したという見方や、さらに遡ってルネサンスくらいからモダンの曙がある、と考える人もいます。今日はざっくりと、20世紀の100年、センチュリー単位で区切っていきます。日本で言うと明治、大正、昭和、それから平成。こうして見ると、結構な時代感覚です。

では、20世紀でモダンデザインがどのように変遷していったのか、ひとまず前半を黎明期、中盤を成熟期、後半を定着期と分けてみます。ここで重要なのは、黎明期と成熟期の間に第二次世界大戦が入っていることです。キーワードとして少しだけ頭にいれておいてください。

History of Modern Design

20世紀、つまり近代はどのような時代だったのか。そのはじまりが日本における明治時代だったことを踏まえると、少しわかりやすいかもしれません。キーワードとしては、まず国際化の時代、資本主義の時代、産業革命後の時代、それから都市の時代。このあたりになるでしょうか。

History of Modernism

「国際化の時代」ということで、インターナショナルであるということが前提になってくるわけですね。交易すること、それから国際的な価値観をもつこと、あるいは「あのひとは世界に通用する」とか「いま海外で話題のスイーツ」みたいなところまで。こうした価値基準の感覚は、今なお根強いものです。

それから「資本主義の時代」であること。特権的でクローズな君主制の時代ではなく、民が主役となるんですね。自分たちが労働で得たお金で、自分たちの判断でものやサービスを買って過ごすことができる。この生活体系やビジネスモデルもまた、今に続くものです。

それから「産業革命後の時代」というのも、また重要です。当たり前すぎて見落としがちなのですが、20世紀に先進国とされたところは、いずれも産業革命が完了しているんですよね。どういうことかというと、モノと情報が大量複製され流通しているということです。

たとえばモノであれば「そのiPhone、いいじゃん」みたいに他人と同じものを手にすることができるし、あるいは「おなじ型番のリーバイスを、ずっと繰り返し履いているんです」とか、そういうことができるんですよね。情報であれば今日の天気から、首脳対談の内容から、コンサートの公演情報まで、みんなが同じ情報をウェブや印刷物、TVといったメディアを通じて知ることができる。それが近代以降のデフォルトなんですね。モノも情報もいっぱいあって、それらは複製され流通する。

また、それが「都市の時代」であったのも大事なところです。政治経済や産業の中心地が各国・各地域にできると、それぞれの国や地域に、人口が集中する範囲が生まれる。これが都市ですよね。今なお日本においては東京近郊の人口が突出していますし、それは世界各国で同じような状況を見ることができます。都市そして都市生活者に最適化したデザインこそが、モダンデザインであるという見方もできるわけですよね。

History of Modernism

冒頭で黎明期と成熟期の間にある第二次世界大戦がキーポイントだという話をしました。20世紀前半のモダンデザインというと、ドイツ工作連盟やロシアアヴァンギャルド、未来派、ディスティル、それからバウハウスなどが思い浮かぶと思いますが、これらはみなヨーロッパの大陸側で興った運動です。しかし大戦後に、その中心はアメリカ合衆国に移ることとなります。こうしたヨーロッパの大陸で活動をしていたモダンデザイン黎明期の人物たちが、亡命というかたちでアメリカへ移住するんですね。

それもただ拠点が変化したというわけではありません。たとえばバウハウスの学長を務めた建築家ヴォルター・グロピウスはハーバード大学へ、それからミース・ファン・デル・ローエはイリノイ工科大学で就任します。まさにヴァージル・アブローが学んだところですね。それから美術家ヨゼフ・アルバースはイエール大学と、それぞれアメリカ合衆国における最高学府クラスの大学で教授職となっていきます。

グロピウスが1883年生まれ、ミースは1886年、それからアルバースが1888年。20世紀初頭、ヨーロッパ大陸で活動をしていたモダンデザインのオールドスクーラーたちは、大体1880年代生まれです。こうした黎明期の世代と新世代、つまり彼らのフォロワーたちが交わりながら、モダンデザインが成熟していく図式になります。

グロピウスのもとで学んだ中には、後にルーヴルピラミッドを設計することになるイオ・ミン・ペイがいます。それからミースの熱心なフォロワーでありながら、結果的にオーガナイザーといえる立ちまわりをしたフィリップ・ジョンソン。ペイが1917年、ジョンソンは1906年生まれということで、いよいよ20世紀生まれの面々がステージに登場するわけです。

そのころのアメリカ合衆国は、まだ実験国家のようなところがあって、しかもいろいろな民族、いろいろな文化圏の人が集まっていました。そうした意味で20世紀半ばは、アメリカという国家においても、非常に重要な局面を迎えていました。そしてその場においては、インターナショナルスタイルとも呼称された、モダンデザインの無国籍的、工業的で無機質な意匠とシステムは、たしかに歓迎される要素になりえるわけですね。モダンデザインの志向と国家のニーズが一致していたわけです。

これはシーグラムビルディング設計計画の際の写真です。ミース・ファン・デル・ローエとフィリップ・ジョンソンが建築模型をはさんで写っています。ちなみに撮影者はなんとアーヴィング・ペン。それも含め、アメリカにおける本格的なモダニズム時代到来を象徴しています。

Mies van der Rohe & Philip Johnson

こういう具合にパイオニアとフォロワーが切磋琢磨しながら、時代のデザインが成熟していきます。思えば、ミースのヨーロッパ時代の仕事を見ると、バルセロナパビリオンのようにかなり抽象度の高い前衛的なものだったり、あるいはトゥーゲンハット邸のような住宅が中心です。シーグラムビルディングのように、鉄骨グリッドとガラスで構成されるスカイスクレイパーは、後にミースを象徴するイメージになりますが、これらは20世紀アメリカの風土で活動する中でできていったわけです。

次に「典型」ということばを整理しますが、これは今回の僕の話の主要キーワードとなるものです。20世紀半ばに生まれた著名なモダンデザインの例を冒頭で紹介しましたが、こうしたものが以降、どんどん「引用」されていくという図式ができてきます。それらがまさにリファレンスとも言える存在であり、引用元としてアーカイブされていることになる。

Archive

ここで大事なのは、こうして引用されればされるほど、その元ネタになるものは匿名化していくということです。つまり、誰が作ったかはさほど重要ではなくなって、スタイルが存在するという認識になっていきます。とはいえ、典型は引用されるほど、その価値が高いというか、評価されていることになると思います。結果として、そのスタイルはオープンソース化していくことになります。

ある「かた」がリファレンスとして認識され、アーカイブされると、それらはひとつの典型としてさまざまなところで引用されるようになる。まさにこれがジェネリックな状態ですよね。

このシーグラムビルディングも、建築やデザインの知識がある人だったらミース・ファン・デル・ローエとフィリップ・ジョンソンを思い浮かべるかもしれないですが、これは高層ビルの典型的な「かたち」でもありますよね。たとえば、今「ちょっとビルの絵を描いて」とお願いしたら、大概の人がこれに近い絵を描くはずで、そこにはミースやフィリップ・ジョンソンという名前はもうありません。スタイルが彼ら個人の所有物ではなくなって、おおやけ性を帯びているというのが典型であり、ジェネリックな状態なのではないかと思います。


文化と文明 ― Culture and Civilization

中村
次に、文化と文明の関係も整理しておきます。

日本語だと一見似ていることばですが、英語ではcultureとcivilization。原義を辿ると、cultureというのは「田畑を耕す」という意味だそうです。風土に影響される範囲、つまり比較的小さな環境や社会における出来事だと言えます。それから、civilizationというのは「野蛮から抜け出す」という意味で、文化の範囲を超える、インターナショナルなものというニュアンスがあります。

たとえば「文化圏」という言い方をしても「文明圏」とは言わないと思います。逆に「文明開化」とは言っても「文化開花」とは言わない。文化は、文明と比較すると小さく、ある種限定的な出来事であると整理しておきます。

一例をあげれば、言語を表すアルファベット、文字は文明にあたります。そして英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、あるいはノルウェー語など、それぞれの言語は文化です。この違いを踏まえると、20世紀のモダンデザインは文明的なものを目指したデザインであったということができます。実は、このあたりのより戻しが起きているのがこの20年くらいだと実感しているんですが、ひとまずそれは置いておいて、先に話を進めていきます。

Culture and Civilization


デザインのデモクラシー/デモクラシーのデザイン

近代の「条件」

中村
次は「デザインのデモクラシー/デモクラシーのデザイン」について話していきます。

近代という時代がそもそもそうした志向を持つわけですが、階層的なデザインではないことも忘れてはいけない近代の条件です。建築家、原広司さんが1970年代前半に書いた「均質空間論※15」という興味深い論文を紹介します。均質空間というと聞き慣れないことばですが、要はグリッドのことです。先ほどから紹介をしているシーグラムビルディングを頭に浮かべながら聞いてください。

均質空間により忠実な高層建築、すなわち金属やガラスでクールに仕上げされたマスを美しくないと裁断するのは難しい。たしかにこの種の多くの建物はさして美しいとは感じられない(中略)また階層や職業を問わずこの形式は美学的におおかたの支持を得ているといえる。(中略)もともとこの種の建物は、美醜の判断を呼び起こさないような無機質な表情をもっている。
原広司「均質空間論」

Seagram Building

Grid Perspective

近代建築はグリッドで設計された建物と見ることもできます。それを美しくないとは言えないだろうということですね。このあたりが20世紀ならではの価値観かなという気がします。誰か特定個人の嗜好に合わせるのではなく、多くの人が拒否しないようなものを作る。それは同時にインターナショナルな性格を帯びているとも言えます。だから主観というところから距離を置いたとも言えるし、同時に工業時代の賜物とも言えるところです。

シーグラムビルディングを例にすれば、これは38階建て、大手酒造メーカーのオフィスビルです。これだけの規模感だから、この中には偉い人もいれば、新人みたいな人もいるはずなんですが、そうしたヒエラルキーも全て同じグリッドのなかで働いていることになります。まさに近代以降の労働環境じゃないとありえないことなんじゃないかと思います。

ちなみにこのシーグラムビルディングは1954年着工、竣工が1958年です。少し横道にそれると、1950年代はフェンダー社が工業的と言える設計と生産プロセスでもって、エレクトリックギターを開発・流通させはじめる時代です。それまでの楽器は専門の職人によって工芸品として作られていたわけですが、フェンダーの楽器はボルトで接続したり、電気系統をユニット状にして仕込んだりと、まさにプロダクトとして作られていたわけです。

こうした楽器は正当な音楽教育を通らなくても、演奏することができたわけです。演奏するといっても、掻き鳴らすようなかたちではあるんですが、それはロックミュージックにおけるアイコニックな所作、つまり典型的なイメージですよね。結果としてエレクトリックギターは、アマチュアリズムを支持する存在となっていくわけで、デモクラティックなデザインと言うことができそうです。

そしてここから30年もすれば、サンプラーや普及型シンセサイザーも出てきます。こうした工業製品としての楽器こそが、20世紀中盤以降のポピュラー音楽を支えた道具となります。プロダクトと音楽の民主化は表裏一体というわけです。


Helveticaの「透明性」? ― 「ふつう」にひそむコロニアル性

中村
こうしたデモクラティック性を念頭に次の話に進みましょう。

先ほど大林パートでも触れられたヘルベチカ。これはヴァージルを象徴する活字書体でもあります。サンセリフ体として圧倒的に有名なもので、よく普通とか透明といった形容をされます。僕はここでひとつクエスチョンを提示しておきたいと思っています。それは、普通という感覚がコロニアル性を含むのではないかということです。ヘルベチカをよく見ると、たとえば大文字のRとか、かなり癖があります。

ただ1957年のリリースからずっと使われ続けていたことが重要です。意匠そのものに普遍性とか透明性があるのではなく、時間をかけて普及し、定着することで、ニュートラルな存在になったんです。反対に言えばわれわれにとって、これが普通に見えてしまうことが重要なんです。

Helvetica

Helvetica in Dialogue

今回のイベントのビジュアル制作にあたって、久しぶりにヘルベチカを使ったのですが、このタイプフェイスを使った瞬間にモダンデザインのグラフィックスになるんですよ。レタースペースを調整したり、他の活字書体でやるような調整をしようとしても、そんなに劇的に表情が変化しないんです。それは、扱いやすさとも言えるし、ある範囲から離れられないことも意味するんですよね。それが今日のヘルベチカとモダングラフィックスとを取り巻く状況と言えます。こうした標準を作ることが、モダンデザインのマニフェストであったのでしょうね。いずれにせよ、ヘルベチカはその安定感と引力が抜群で、何をしてもモダンデザインになってしまって、モダニズムに内包されるコロニアル性を見た思いもしました。


標準としてのモダンデザイン ― Adobe Illustratorとデフォルト/スイスタイポグラフィ

中村
同じことはコンピュータアプリケーションをもちいた制作環境にも言えます。AdobeのIllustratorとかInDesign、あるいはPhotoshopとかもそうですね。ここではIllustratorを例に話を進めます。これはヨゼフ・ミュラー=ブロックマンが1957年に制作したポスターです。先ほどから紹介しているモダンデザイン、そのグラフィックスにおける典型のひとつですね。60年前の仕事と思えば、かなりエバーグリーンなものとも思います。

Josef Muller-Brockmann

これを、僕がIllustratorを使って再現した動画を見てみましょう。カラーパレットにすでに似た色がありますね。大体3分くらいですかね、ある程度はすぐに再現できました。あらかじめグリッドレイヤーだけは作成しておきましたが、それ以外は基本的にデフォルト設定でここまでもってくることができます。活字のサイズとか行送りも、実際そんなに変な数値ではなかったですね。もちろん、これは何もブロックマンが簡単な仕事をしているとか、僕が上手とか、そういう話ではありません。言うまでもなく、この設計をつくることと、ここから先の調整が大変ですからね。

ブロックマン以外にもモダングラフィックスや、いわゆるスイスタイポグラフィの人物はたくさんいるわけですが、ここで共通する条件を洗い出していくと、まずサンセリフ書体を用いること、それからテキストは左頭揃え、右ナリユキ組みとなります。Illustratorの組版はジャスティファイ、つまり箱組みがデフォルトではないんですよ。それから矩形など定規やコンパスで描画するような幾何図形を用いること。そしてその要領で写真などの図版も扱うこと。結果として余白もまた図形的に活用されること。それは画面全体がグリッド的にコントロールされていくことを意味します。活字も図形も図版も余白も、同じ規格で連続するマスを基準としながら扱われるわけです。言うまでもなく、このあたりのグリッド解釈はミース・ファン・デル・ローエの建築や、原広司さんの論考にも直結します。

こうしたモダングラフィックスやスイスタイポグラフィの条件というのは、そのままIllustratorのデフォルト設定になっています。デフォルトというとゼロ状態という印象があるかもしれませんが、実際には、すでにもう何かを目指して設計された状態なわけです。わたしたちが何かをデザインするとき、すでにその状態がデザインされていること。先ほどのヴァージルの話にあった、チャンピオンとかアメリカンアパレルもまた、こうしたものと同質のデフォルトと言える存在だったのかもしれません。


オープンソース化する「典型」 ― デザインされたメソッド

中村
それからヨゼフ・ミュラー=ブロックマンは『Grid Systems in Graphic Design※16』を、バーゼル工芸学校の人物でもあったエミール・ルーダーは『Typographie——A Manual of Design※17』を、というように、モダングラフィックスやスイスタイポグラフィの立役者であるふたりの人物が、積極的に自身のメソッドを言語化・体系化し、書籍として公開したことも重要です。

Grid Systems and Typographie

自分たちのノウハウをクローズにしておくのではなく、まさにオープンソース化したことで、みんなが真似できるし、学ぶことができる状態になったわけです。「みんながこれを活用しながら、時代のデザインの基礎ができてゆけばいい」みたいな意志を持っていたのだと想像します。だからこそ、こうしたスタイルが続いていくし、典型化したジェネリックなものになるわけです。ヴァージルがスライドのフォーマットを公開したり、そのデザインメソッドを分析するウェブサイトを作ったことと似ていますね。

いずれも刊行以来の大ロングセラーで、デザインに関わる人は、どちらかは書棚にあるだろうし、場合によっては二冊ともにかなり読み込んでいらっしゃる人もいるんじゃないでしょうか。ご覧になった方はわかるかと思いますが、いずれも彼らの発明というより、モダニズムのデザインを当事者なりに俯瞰しながら、過去の歴史体系と紐づけていくような構造になっています。

ちなみに彼らが活躍し、そのスタイルやメソッドを確立した1950年代から60年代は、音楽であればバークリー音楽院が、いわゆるバークリーメソッドを成立させていた時期とも重なります。今となってはジャズの基礎教育として捉えられたりしますが、当時としてはクラシック音楽以外のポピュラー音楽における理論の本格的な成立だったわけです。このメソッドは現在、プロフェッショナルな現場ではもちろん、それが噛み砕かれていって、町の音楽教室だったり、中高生バンドが入門書で教わるような内容としても浸透しています。

デフォルトやオープンソースというのは、最終的な結果はもちろん、そのプロセスの組み立て自体も典型化しているものなのだと思います。それが「かたち」未然の「かた」なのかもしれません。


「典型」とのむきあいかた ― フラーロン派と民藝運動

中村
「典型」と「かた」というキーワードに辿り着いたところで、僕の方では、このふたつを軸に話をまとめていきます。ヴァージルの3%アプローチの話に近いと思うんですが、前例のような人たちがいたので、ここで紹介します。いずれも20世紀前半、今から100年ほど昔の出来事です。ひとつはイギリスから。いわゆるフラーロン派に触れ、それから民藝を結んでいきます。

まずはスタンリー・モリスンです。彼はフラーロン派の中心人物でもあります。ここまで紹介した20世紀前半のモダンデザイン運動は、いわばヨーロッパの大陸側の動きです。一方、イギリスはいち早く産業革命を起こした工業大国であり、同時に保守的な気質もある国です。

当時のイギリスで何が起っていたかというと、1920年代に『ザ・フラーロン』というタイポグラフィの研究雑誌が発行されていました。スタンリー・モリスンをはじめ、フランシス・メネル、フレディック・ウォード、ブルース・ロジャースなど、錚々たる人物が執筆しています。

スタンリー・モリスンはモノタイプ社でアドヴァイザーを勤めていました。たとえばタイムズニューローマン書体を開発したり、彫刻家であったエリック・ギルにギルサン書体やパペチュア書体を依頼したりと、多くの功績ある人物です。中でも大きいのは、活字書体のリイシューをおこなったことです。

これはベンボという活字書体で、現在も定番のオールドローマン書体として、デジタルタイプとなって流通しています。もともとはルネサンスの時代に、アルド・マヌティオという印刷人が使用していた活字の復刻版です。他にもベル書体など、産業革命以前のイギリスで活動していたジョン・ベルという印刷人が使用していた活字書体のリイシューもあります。これに限らず、モリスンが復刻に関わった活字書体は多く存在します。

Bembo

Bell

活字書体はヴェネチアンローマンにはじまり、オールドローマン、トランジショナルローマン、そしてモダンローマンと分類されますが、これは時代の変遷でもあるんですね。ある頃まで活字書体は不可逆的に進化していました。しかし、今わたしたちのPCのフォントブックを見れば、さまざまな時代や地域の活字書体が並列化されていて、状況に合わせてそれを自由に選択することができます。そのきっかけとなったのが、モリスンの仕事です。それも、ただ見た目だけをリイシューしたのではなく、システムとして当時最新の技術で復刻して、過去の遺産を当たり前に使えるものにしたわけです。

これはフランシス・メネルが主催した出版社、ナンサッチプレスの本で、1933年に刊行されたアルフレッド・テニスンの詩集です。ここではアルド・マヌティオのイタリック体を復刻したブラドーという活字書体が用いられています。ルネサンス時代の活字書体が、こうして20世紀のはじめに復刻され実用化されるようになります。

In Memoriam A.H.H. Alfred Tennyson In Memoriam A.H.H.

他にもウィリアム・ブレイクの本ではバスカヴィル活字を使ったりと、まさに時代背景を重ねているかたちになっています。19世紀末に、アーツアンドクラフツ運動の中心人物だったウィリアム・モリスもまた、自身が主宰した出版社ケルムスコットプレスにおいて、ニコラ・ジェンソンによる活字書体のリイシューを試みています。しかし、モリスの場合は非常に限定的で、あくまでもプライベートプレスの範囲に留まっています。モリスンとモノタイプにおいては、それをプロダクトとして流通させた点に大きな差があります。

モリスに限らず、元々印刷所というのはクローズな存在だったので、それぞれの印刷所が自分たちの活字を持っていました。だから活字書体は、その地域や時代の志向が濃密に反映されます。極端に言えば信仰告白のようなところがあるんですよ。どの活字書体を使用するかは、自分たちのアイデンティティ、つまり所属する集団を示すものでもあったわけです。

だけど、今となっては活字書体にそうした濃厚な身体性はないですよね。ワープロだろうがスライドショーだろうが、あるいはこうしたAdobeのアプリケーションであっても、この身体性や個が希釈されている状態こそが、ジェネリック化していると言えます。20世紀初頭に、モリスンたちが過去を振り返っていなければ、現在みたいな感覚で活字書体を選択することができなかったんじゃないかと想像します。

さて、フラーロン派の時代はバウハウスの時代と重なります。今からおよそ100年前の、20世紀初頭のことですが、そのころ日本においてはどうだったかという観点で、最後に民藝運動を紹介します。

この10年少しくらいはリバイバルして、さながら民藝ブームとも言える状態にありますね。それでも、ちょっと古臭いというか。どこか保守的な懐古運動みたいなイメージを持たれる方も多いかもしれません。柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、それから芹沢銈介に棟方志功といった面々による運動で、実際にものを作り、同時に調査旅行をおこなっていました。時代としては民藝運動の少し前になりますが、これは木喰仏調査のときの写真です。

柳自身がもともと白樺派の人物として、西欧の先端的な芸術表現を日本に紹介していた立場にありました。他にもウィリアム・ブレイクの研究をするなど、イギリスの近代に触れていたということも重要ですが、いち早く世界にタッチして、それを咀嚼した一人だと言えます。しかしある頃から、日本をはじめアイヌや朝鮮、それから琉球と、東アジアに目を向け、足を運ぶようになります。その活動は、どんどん文明化が進んでいく時代の中で、文化に力点を置いたと見ることもできます。

このように、さまざまな風土や時間の中で生まれ、根付いてきた工芸とその背景を紹介していくわけです。アーカイブを作り、リファレンスとして編集する、つまり新たなプロポーションを作ったことが、民藝運動の大きな功績なのではないかと、僕は考えています。ここで柳が1931年に書いた興味深いテキストを紹介します。「工藝的なるもの※18」というタイトルです。

今仮にバスに乗ったとする(中略)彼女は急に抑揚のある言葉遣いを始める。「お降りの方は御座いませんか」とか「曲がりますからご注意希います」とか、「次ストップ」とか韻律的に言葉を使う。
柳宗悦「工藝的なるもの」

いきなりバスの車掌の話からはじまって、工芸の話のつもりで読むと少し面食らいます。あれですね。中川家のコントのような鉄道関係者のアナウンスにある特有の抑揚を想像してください。Designということばは、動詞と名詞が混在しますが、同じように柳はこのテキストの中で工芸を動詞として扱っているように見えます。バスの車掌、それから床屋さんの鋏の使い方、工事現場のリズム感などを工藝的だと言っているんですが、おそらく柳、もの未然のことを言っているんだと思います。つまり、ひとつの文化圏の中で成熟し、結果としてそれを象徴する記号となったもののことです。

実際、なぜ鉄道関係者のアナウンスのモノマネがお笑いとして成立するかというと、それがすでに記号化していて、みんなが認知できるからですよね。それは同時に誰か特定の個人ではなく、匿名化した集団としてトレースしているわけなので、それはジェネリックな状態であり、オープンソースとなっているということです。ある「かた」があり、その「うつし」が脈々と続きながら、長い時間と時代の中で、最適化されていくこと。再び音楽教育にたとえるのであれば、それがクラシックなら、バッハやブラームスなど古典とされるものが、演奏家同士においては演奏経験が共有され、作曲家であれば基礎となる研究対象として、その「かた」を咀嚼していることでしょう。あるいはジャズであればチャーリー・パーカーにマイルス・ディヴィス、というように世代ごと、あるいは楽器ごとにその対象があります。

こうなってくると、ヴァージルが言う3%アプローチの、残りの97%が何であるかがわかってくる気がします。アーカイブされ、ジェネリックな状態というのは、みんなが見慣れているからリファレンスとしても成立するわけですよね。そうして典型化し、オープンソースとなったものから、いかに新たな文脈を編集するかというのが、民藝やフラーロン派、そしてヴァージルに通底する課題意識のように思えます。

今回『ダイアローグ』を読みながら、文明を経て文化を読む時代になっているんだなと、改めて実感しました。それこそがインターネットの時代以降、この20年くらいかけてゆるやかにモードチェンジしようとしているところだと考えています。近代から20世紀におけるモダニズムが文明化であり、その志向がインターナショナルなものであったとすれば、その最後に得た究極のグローバルツールがインターネットなのは間違いないはずです。世界中が同時に情報を獲得できるメディアとインフラストラクチャというのは、20世紀的価値観の到達点だと思うんですね。


新たなる「典型」/あったかもしれないモダニズム

中村
その結果として何が見えたかと言うと、実は今なお世界は小さな文化の集合体であるという、すごく当たり前の事実だったということです。今も郷土料理は失われず、土地土地のなまり、つまり声は失われずにいますし、文明化の結果、文化を再認識する時代にわたしたちは生きています。それは近年、民藝やモダンデザインが再評価、リバイバルしていることと無関係ではないと思いますし、その課題に対するアンサーのひとつが、まさにヴァージル・アブローのアプローチと言えます。ヴァージル・アブローのデザインにあるもの、そして彼のアーカイブ/リファレンスという視点は、その時代を如実に象徴しています。そしてその上で、新たなる「典型」を編まんとしているのです。

個人的にヴァージルの作るグラフィックスを見ると、ある種の懐かしさを覚えるんですよね。どんな影響を受けていて、どのあたりを狙っているのかがよくわかるし、リファレンス対象への真摯なリスペクトも伝わります。だけど、いざ調べてみると、全く同じものは存在しないんですよね。見慣れている気がするけど違うものというか、「あったかもしれないモダニズムのかたち」が浮かんできて、これが3%アプローチなのかと思わされました。

個人的にビル・フリゼールの音楽が好きなのですが、彼の作る音楽はアメリカンミュージックの典型的な響きのように聴こえます。懐かしさを覚えるものだけど、歴史を辿っても全く同じものは存在しない、つまり新たな典型なんですよね。かつてのポストモダンのように、様式としてのモダニズムに反することをやることばかりが新たなデザインではなくて、こうした姿勢がモダニズムを乗り越えるモダニズムのデザインなのかな、という気がします。

だから、もしかするとこれから生まれてくる新たなデザインというのは、思いのほか懐かしい見た目をしているかもしれません。ただ、それがどのようにかたちづくられ、どのような文脈で存在するかというのが、モードの変化となるはずです。典型、そしてオープンソースなるもの、その後ろにあるアーカイブ/リファレンス/ジェネリックとの関係について、これまでのモダンデザイン史を紐解きながら考えてみました。ありがとうございました。


質疑応答

質問者1
ありがとうございました。今回はヴァージルから民藝までお話しいただきましたが、たとえば民藝やタイポグラフィは、時間をかけてリファレンスされた結果だとと思います。その一方で、ヴァージルの場合は現在のビジネスど真ん中にあるものを編集したりしていますが、訴訟問題などのリスクを孕みますよね。実際に経済的な関わりも大きいのではないかと思います。そういったものをリファレンスして3%アプローチをするというのは戦略的なものなのでしょうか。それとも原理的な根拠があるものなのでしょうか。

大林
訴訟と言えば、ヴァージルはマルセル・デュシャンが自分の顧問弁護士だと言っていますが(笑)、実際どのくらい戦略的だったんですかね。

平岩
参照するもののありなしを、どのように判断しているかですよね。民藝と比べると、たしかにスピードが違っていて、あらゆることがヴァージルは早かったりしますね。

中村
やっぱりインターネット時代というのは大きいですよね。出た瞬間に真似されるというのは、おそらくヴァージルに限らずだと思うんですけど、意外と工芸とかもそうかもしれなくて。それぞれの作り手レベルでは、それくらいのスピード感でいろいろ咀嚼されているような感じがするんですよね。だから、大局的に見えるところと、おのおののディティールで見えるところの違いもあるんじゃないかと想像します。それこそ先ほど大林さんのおっしゃった回転寿司の話のように、情報伝達のスピードの変化が如実に見えてくるところと、そうでないところがあるのかなという気はします。

質問者1
情報量は、そんなに変わっていない可能性がありますか。

中村
そうですね。見え方の変化があり、情報量自体はさほど変化していないかもしれないですし、いろんなレイヤーで考えられますよね。法的な基準で見ることと、仲間内の関係でインスピレーションとして見るのは、また変わってきますし。

大林
カルチャーによっては法重視のものもありそうですよね。SNSの言論を見てると、共有された闘争のルールとして法律を持ち出す人がいますけど、周りにはあまりいません。ヒップホップマナーだと、その世界の中のゲームのひとつのルールとしてリファレンスがあるという感じです。

中村
SNSの話で少し思い出したんですが、半年くらい前にお絵描きAIが流行った時期がありましたよね。アニメ系のイラストレーションをAIに描かせてアップロードするというものに、もともとその手のものを描いていたイラストレータたちが過剰反応して「#AI学習禁止」というハッシュタグを付けていました。僕はちょうどそのころ『ダイアローグ』を読んでいたこともあって、真逆の動きだなと思いつつ、眺めていました。

たしかに短い時間のスパンで見れば「AIに読み込まれて、パクられた」という話になりますが、長いスパンで見れば、ああいったものに学習させておかないと、自分自身のスタイルが歴史から消滅することにもなるわけですよね。だから、僕にはそれが自分自身の典型化を拒否する動きにも見えたんです。

さらに言えば、そういう拒否反応を示したイラストレータたちも、もともとは誰かを参照しながら自身のスタイルを作ってきたわけです。僕の目にはどれも同じに見えると言うのはありますが、そのくらい類型化している中での小競り合いだったと思っています。そして彼らが共通の基礎としているのはデッサンとかパースペクティブのメソッドで、それは言うまでもなくルネサンス以降、オープンソース化されて久しいものです。

だから何を偉そうなこと言ってんだろうとも思ったんですが、こうした権利関係の話も、インターネット以降、ある種不要なほどに可視化されたのかなとは思います。

平岩
オープンソースの反対が著作権ですもんね。

大林
知的財産権ですかね。

平岩
ヴァージルを例にすると、IKEAのプロジェクトで興味深いアイデアがありました。ミッドセンチュリー期の家具、たとえば今すごく価格が高騰している椅子とかを白い布で覆って、それをプロダクトとして販売しようとしていたんです。コンセプトというか、理論武装も一応ありましたよ。

大林
言い訳として(笑)

平岩
そうですね(笑)今の若い子たちは、家で家具を使うときにそのままではなく心地いいシーツをかけて使っているというのをリサーチ段階で発表しているんです。だから最初から白い布をかけてしまおうということです。映画とかでも、海外で引越しをするときや、避暑地とか別荘とかで、部屋中の家具にシーツがかかっている状態ってありますよね。あの状態を作品化しようとしていたんだと思います。

でも、本当にヴァージルがやりたかったことは、多分もう一つあります。このあたりのミッドセンチュリーの家具は、もともとは公民館や市役所とかパブリックな場所のために作られたチープなもので、それが今は権利関係でコピーもできず、オリジナルが高騰している状態です。それに対するアイロニーというか、からかいみたいなものとして、シーツをかけることでクリアにしようと考えていたみたいです(笑)でもそこはやっぱり法的に難しかったらしく、頓挫しています。

あと僕からも質問みたいになるんですが、中村さんが発表で引用されていた「偽史」という言葉がありましたよね。ヴァージル自体は「偽史」とは言わないんだけど「正史」とは何度か言っていて、リファレンスと関係しそうだなと思いました。誰が歴史を書くのか、文脈を作るのかという意味でも正史はデフォルトにも関わってくるので、その政治性みたいなものがおもしろいと感じました。

今日は会場に写真家や現代アートの方がいるから、どうしてもクリエイター視点で考えてしまうんですが、ヴァージルの場合、バックグランドにブラックエスニシティとかサンプリングがあります。たとえば日本人の作家は何を参照すればいいとか、どういうアプローチや戦略で正史に立ち向かえばいいかとか、そのあたりは少し考えたいなと思います。会場の意見も聞いてみたいですね。

中村
わたしたちのリファレンスは、一体何かということですね。

平岩
民藝というのは、もしかしたらそうかもしれないですね。

中村
先ほども触れましたが、もともと柳宗悦は白樺派にせよ、ブレイク研究にせよ、国内ではかなり早い段階で西洋のモダニズムに触れています。その中で反芻したことはやっぱりあるんじゃないでしょうか。

彼の学習院時代、英語講師が鈴木大拙でドイツ語講師が西田幾多郎だったというのもすごいんですよ。このふたりもこの時点では、後に続く思想の原型を掴みつつも、まだ一教員だったわけですが、こうした人たちが近くにいたことも大きそうです。

そのころ大拙はアメリカ帰りで、海外の文化に触れながら、東洋的なる思想を形成していく過程にいた点も共通します。明治に生まれた彼らもまた、文明開花の時代の中で、わたしたちの足元にあるアイデンティティを模索していたわけですから。

平岩
ローカル性みたいな。

中村
ローカル性ですよね。ただ、そこに何を見るかというのが重要です。この10年くらい民藝がリバイバルしたことについては、SNSの影響が大きいと思うんです。特にインスタグラム以降。SNS初期はテキスト主体のものが多かったですが、今は画像主体になってコミュニケーションのスピードや具体性が一気に上がりました。それによって、世界中のローカルな文化をイメージとしてダイレクトに見ることができるようになりました。それなら自分たちはこれだ、という動きには当然なってくるでしょうね。

建築で言えばスタジオムンバイのような、意匠としてはもちろん、プロセス自体が土着的ながらしっかりモダンデザインの文脈を踏襲しているものが評価されるようになっています。正史と偽史の話で言えば、基本的にこれまでの正史はヨーロッパ圏というか、カトリックや哲学的な価値観をもとに形成されていますが、今はおそらくひとつの絶対的な正史があるという時代ではなくなっていると思います。それで、それぞれの正史を編む時期にきているんじゃないでしょうか。

大林
ついでにデザインの話をすると、先ほど中村さんが紹介していた20世紀の歴史がありますよね。黎明期、成熟期、定着期と言っていましたが、ニコラウス・ペヴスナー史観というか、これまで基礎とされていたデザイン史の編みかたですよね。最近はそれ以外にもデザインリサーチを中心にしたデザイン史が紹介されることもあります。デザイン理論とかデザイン学とかの領域から見るという、これまでのモノづくりとして見てきたデザイン史を覆すような見方です。

こうやって歴史を新しく作るという傾向も出てきているんですが、こうした史観がそもそもなかったのは知っていて、なんとなくつぎはぎで新しく作られた印象があります。もしかすると以前からあったのかもしれないけれど、少なくとも自分の目には届くところになかったわけで、そういう歴史編纂的な動きは、デザインでも感じることがありますね。

中村
僕のパートでAdobe Illustratorの話に触れましたが、結局これに限らず今デザイン用アプリケーションとされているツールは、どれもモダンデザイン志向がとても強いんですよね。その影響で、20世紀半ばのスイスタイポグラフィとかが、重要な歴史とされているんじゃないかなとも思います。大体1990年代半ばから制作環境がDTPに以降していくんですが、その当時を思い出すと、ミッドセンチュリーモダンと呼称されて1950年代前後のデザインがリバイバルしましたよね。『Casa BRUTUS』もそういう感じで月刊化していたし、青山ブックセンター本店にもあの手の「白い本」が並んでいました。まさに当時のデザイナーにとってのリファレンスが一気にアーカイブ化されたように見えました。

やっぱりアプリケーションの特性として、こういうものが作りやすかったし、そこが正解として向かっていったのがわかるんですよね。たとえばプレモダンのデザインと言えばウィリアム・モリスのような、ある種ごちゃごちゃした手技の極みみたいな意匠がある。ああしたものはIllustratorとかPhotoshopだと単純に作りづらいですよね。ツールの特性によって、自分たちの志向も書き換えられて、さらには歴史も更新されていくんでしょうね。

平岩
作業環境で、知らず知らずのうちに。

中村
そうなんです。作業環境によって、実は歴史が編纂されている。だから先ほどの話のように、その時期特有の歴史の見方があるという状態が生まれるんだと思います。

質問者2
少しややこしい質問かもしれませんが、ヨーロッパというか欧米的なところに歴史の主導権があるのは、ヴァージルが所属していたファッション業界がまさにそうですよね。シュプリームが日本の古着をリファレンスした服を出して、それを日本の若手デザイナーがパクるようなマッチポンプもあって。

その順番自体は変わりようがないのかと思いつつ、たとえばタイポグラフィひとつをとっても、ヘルベチカのように日本語環境で広くシェアされているものは何かというと、誰もがパッと思いつくものがないんじゃないかと思います。僕は本を作る仕事柄もあって、日本語の文字組みに難しさを覚えます。正解に行き着くというか、辿るべき文脈の基準みたいなものがないのが、やりづらいなと感じています。

日本人が持っている共通認識を考えると、いわゆる「エモい」みたいな、何かに触れるときにみんなが頼りにする感情のような気がしています。その対象がマイナーであっても、共有している感情はメジャーという状態になっているんじゃないかと思います。たとえば「ニルヴァーナを聴いたときのあの気持ち」みたいな感情が記録化されているというか、こうした共通認識を持つことが、日本人がものを作っていくうえで大事なんじゃないかと感じています。逆に言うと、そのくらい具体的なリファレンスを持ちづらいというのが正直なところです。

そういった状況は、日本と欧米の環境の違い、とくにものづくりの環境の違いが起因しているような気がしますが、皆さんはどう思われますか?

平岩
日本の土壌では、参照しているものが感情なんじゃないかということですよね。

質問者2
そんな気がするんです。写真を例にすれば、欧米から求められる日本人写真家は、森山大道とか荒木経惟とか、かなり絞られます。この人たちを若い日本の作家がリファレンスにすることはあっても、歴史上の先生みたいな存在はいないんじゃないかと思っています。それは、みんなが個人的な文脈でものを作っているから、コンセプトが外に向かって伝わりづらいというのもあると思います。それが問題だとすれば、どうやって解決できるのかなと。

平岩
ここ数年で、感情史の翻訳書が2,3冊出ていますね。まだしっかり読めていないですが、エモさと時代性は言語によって記述されますよね。これで歴史化はできるかもしれないけど、見てきたそのものをアーカイブしていく人は少ないですよね。

大林
前に平岩さんとギャル文字の話をしてましたが、日本は書き文字文化が強いですし、この書き文字がエモいですよね。子供の頃は書き順が正されるし、字がきれいじゃないと怒られるけど、活字によるタイポグラフィには関心が薄いみたいな。

平岩
手書きの文字。たしかにそこはエモいですよね。

中村
少し飛躍するかもしれませんが、最近、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を再読しています。改めて思うのは、やっぱり主体性が薄くて、環境に溶けているような感覚があるんですよね。再読して気づいたのは、あれは単純に暗いというよりも、視覚のレイヤーが下がって、他の感覚器が冴えて一体化していくというか、それは自身の中でも、環境に対してもそうで、主観というよりも共感に近い感覚があるということでした。有名な羊羹のくだりとかはやっぱりエモいですし、なぜかその状況はリアルに想像することができます。

考えてみれば、五感の中で視覚が一番主体性が強いんですよ。音とか匂いとかは、同じ場であれば共感できるけど、視覚はそうはいかないですからね。そのあたりを指摘しながら、近代以降のわたしたちの課題感を浮き彫りにしているのが、『陰翳礼讃』が名著とされる所以なんじゃないかと思うんです。顕在化され見えるようになった「かたち」ではなく、その未然にある「かた」に典型、つまり共通する感覚を見出すことに気づいたというか。

あ、そろそろ締めないといけないみたいですね(笑)

大林
すみません(笑)では最後に今日のテーマ曲があるので、それを聴いて終わりにできればと思います。

平岩
そんなのあったんですね(笑)

中村
テーマ曲。ちょっと卒業式みたいな気分で聞きましょうか(笑)

大林
われわれのポッドキャストAFTERNOON RADIO「デザインのよみかた」のジングルと、ヴァージルに関する対話をサンプリングして何かできないかなと思って、2000年代のカニエ・ウェストのTypeBeatを引っ張ってきていろいろやってみました。ちょっと恥ずかしいんですが、聴いてみてください。

会場
(テーマ曲が流れる)

大林
以上になります。今日は皆さんどうもありがとうございました。

平岩・中村
どうもありがとうございました。


2023年2月21日 本屋B&B「ヴァージル・アブロー『ダイアローグ』のよみかた」にて収録

編集協力: 古屋郁美

デザインのよみかた