デザインのよみかた
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2018年2月15日 デザインのよみかた #1

デザインという言葉を整理しよう

はじめに

中村
こんばんは。さっそくはじめていきます。さて、デザインといえば、たとえばグラフィックデザイン、プロダクトデザイン、あるいはウェブデザイン……とか、そうしたものづくりのカテゴリをしめしたり、そうかとおもえば組織のデザインやデザインシンキングというような、ビジネスシーンで頻出するキーワードがあります。近年、ともすればデザインということばが、いろいろな使われかたをしすぎていて、あたかも大喜利のように「デザイン」と枕詞がつく傾向になっています。しかしながら「デザインって、そもそもなんなのだろう?」という、そもそものはなしは意外とよくわからないまま、日常のなか、言葉としてだけ入ってきているかもしれません。

この連続講座の目的は、全4回を通じて「デザインとはそもそもなんなのか?」について明らかにすることです。さらには、こうして「デザインがなんなのか?」と考えていく行為も、ひとつのデザインプロセスと言えるかもしれません。

デザインの定義

大林
「デザインとはなにか?」ということで、デザインの定義を文献でいろいろ調べてまとめてきました。まずはそれを共有しながら、デザインについて一緒に考えていきたいと思います。

最初に見たいのは、最近出版された第7版が話題になっている『広辞苑』です。この伝統ある『広辞苑』のなかで、デザインがどう定義されているかというと、「下絵・素描・図案」です。ほかには「意匠計画」とか「総合的造形計画」というのもあって、なにかをつくるための準備とか計画ということになっていました。

続いて、辞書の権威と言いますか、学術系の人がいつも机に置いているであろう『Oxford English Dictionary(OED)』に載っている ‘design’ の定義を翻訳して持ってきました。まず名詞と動詞のふたつがあって、名詞の方は『広辞苑』と大体一緒で「計画」「下書き」とあります。動詞の方は、それに対する行為ですね。「下書きによって決めること」であるとか「目的に対して計画すること」と定義されています。

中村
「下書き」というのは、原文で ‘drawing’ となっていましたね。ちなみに翻訳は、オックスフォード出版局で働かれていた河野三男さんにもお手伝いいただいています。

大林
それから『OED』には『Advanced Learner’s Dictionary』というバージョンがあって、こちらは英語圏外の人が使う辞書なんですが、先ほどの『OED』とすこし書き方が違いつつも、言ってることはほぼ同じでした。もうひとつ権威的な辞書とされている『Webstar』ですが、こちらも内容としてはほぼ同じでした。

辞書以外も見ていきましょう。まずはヴィレム・フルッサーの『デザインの小さな哲学※1』という本。原題は『Shape of Things』で、日本でも翻訳される前からデザインの名著としてよく紹介されていました。ここには「計画」「意図」「狙い」と書かれているんですが、おもしろいのが「悪だくみ」とか「陰謀」という悪い意味に取れそうな定義も同時にされているところです。本来の価値をまた違う意図で伝えることができるデザインの危険性が示されていて、なかなか興味深いですよね。また動詞の方では、「なにかを考え出す」とか「スケッチする」といった定義がされていました。

全体的に意味が広く設定されているのは予想どおりですが、意外にその定義自体にはあまりブレがないんですよね。ほかにもいろいろと調べてみたんですが、大体同じだったので、すべてを紹介しなくていいと判断しました。総じて言えるのは、その制作物や「つくること」よりも、その「プロセス」や「計画すること」の定義が多くを占めていたということです。

でも、実際の現場を見ると、なにか「つくること」に従事している人がデザイナーと呼ばれていますし、自分も仕事でデザインと言うときに、広義の意味ではあまり使いません。だから、定義と現場のレベルは、なかなか一致しない感触があります。あと最近の傾向として、デザインを勉強している学生なんかが、制作はしないけどデザインをしていると言っていたりするので、ジェネレーションギャップによる齟齬もありそうです。

中村
職業柄、さまざまなかたとデザインの話をしますが、その都度「今回はどの『デザイン』についての話だろう?」と、探っています。話の流れのなか、そのひとのデザインの捉えかたや範囲がだんだんとわかっていく。

大林
大きくは「つくること」とそれを「計画すること」っていうのがデザインで問題ないと思うんですが、そのふたつが対立している感じがありますね。ここはそれぞれ従事している人のポジショニングと言いますか、自分がやっている職業がデザインじゃなくなったら困るという都合もありそうです。

あと、デザインの歴史についても調べてきたので、もうすこしお付き合いください。

デザインという言葉が最初に出てきたのは16世紀。しかも動詞の「デザインする」でした。これはおもしろいところです。

この動詞が出てきた2年後に、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計図が「デザインされた」ものとされたそうなんですね。ダ・ヴィンチがいろんな設計図を描いてのは知られた話なので、かなりイメージしやすいと思います。そして、その38年後に初めて名詞になるんですが、意味は「目的」とか「意図」でした。この時点では、まだつくる前の話でしたが、ここから「頭の中で構想した実行すべき計画やスキーム」という意味、つまりプロセスの話になったり、職人たちがこの言葉を使うことで「つくる」寄りの意味に広がっていきました。

そうなってくると、デザインという言葉の語源も気になってくると思います。これが結構古くて、古代ローマのラテン語の動詞 “designare”(デジグナーレ)というもので、「骨組みを作る」とか「工夫する」といった意味で使われた言葉でした。“designare” には “sign” という言葉が入っていますが、これは “signum”(しるし)という意味です。なので、翻訳すると「計画を記号にしるす」といったニュアンスでしょうか。これがイタリア語の名詞に変わり、それからフランス語になって “dessin”(目的や計画)と “dessein”(絵)、つまりデザインとデッサンという意味に分かれて、今に至ります。

それから、デザインの定義には直接関係ないですが、デザイン事典という類のものも結構たくさんありまして、このあたりもいろいろ掘ってみたので、一部紹介できればと思います。

これは『現代デザイン事典※2』という本からで、最初ドイツ語で書かれてたあとに英語や日本語に翻訳されたものなんですが、ある意味とても潔かったので聞いてください。こんな書き出しになっています。

親愛なる読者を失望させる危険を犯さずして、この事典の中心的用語である『デザイン』に関し、唯一の権威ある定義を下すことは不可能である。デザインの歴史的始まりは複雑で、デザインの本質がなにであり、なにでないかは、本事典でも示されてきた見方からも分かるとおり、議論は多岐にわたり、今も進行中である。

と定義をいきなりあきらめて、Qに対してQで答えているような状態で、これはなかなか好感が持てるなと(笑)というのも、われわれが今デザインに関して抱えている問題を言い当てているというか、「言いたかないけどいろいろあるんだよね」というのが丁寧に書いてあるわけです。つまり、デザインの定義もきちんとデザインされているべきということに気づくきっかけになりました。デザインという言葉に拡張性があるのは間違いないので、定義にもその拡張性がデザインされている方がデザインらしいということです。

というわけで、いろいろ紹介してきましたが、最後に自分が一番しっくりきた定義を紹介します。これはジョン・ヘスケットという人が書いた『デザイン的思考※3』という本からなんですが、ここでは「デザインとはデザインを作るためにデザインをデザインすること」と定義しています。

一見すると、煙に巻こうとしているような印象を受けるかもしれませんが、そういうわけではないんです。最初に言っているデザインは「分野」のことで、今の定義の話です。なので、デザインという「分野」は、「制作物」であるデザインをつくるために、「企画やコンセプト」を「実行する」という文法になっているんです。この一文でデザインの拡張性がわかりますし、なによりデザインという概念の構造を見事に表しています。ここで言ってる定義を、簡単な図にしてみました。

デザインの定義(『デザイン的思考』) デザインの定義(『デザイン的思考』)

デザインの定義(まとめ) デザインの定義(まとめ)

なにかを「企画」するときにわれわれの頭には「アイデア」があって、それを実際のものとして「制作」されて、それが「対象」になるという一連のプロセスがある。それらをまとめたものが「分野」になります。なので、なにか対象となるものがあれば、ライフスタイルだろうがキャリアだろうが生き方だろうが、それらをデザインするという言い方は間違いではないことになります。

文明とデザイン

大林
ここでいきなりですが、「大文字のデザイナー(THE DESIGNER)」ということを考えてみたいと思います。「大文字のデザイナー」って誰のことかわかりますか?

これは「神」のことです。神学的な話になんですけど、自然は人類が誕生する前からあるじゃないですか。だから話として「誰が世界をデザインしたのか」と言うと、神がデザインしたという答えになるんです。自然というのは、時間的にも空間的にも明らかに人智を超えたスケールでデザインされています。それに対して、われわれ人類の能力とスケールでリデザインしたのが文明と言えるかと思います。

というわけで、ここからは文明とデザインの話をしていきたいと思います。最初に神がデザインしたとされる自然があって、そこにわれわれがいろんなものを人工物としてつくって、それがやがて文明になる。その環境はやがて新しい自然になっていくわけですね。

自然と文明の発展 自然と文明の発展

たとえば、今ここに机や椅子やPCなんかがありますけど、いずれも誰かがデザインしたものです。決してデザイナーがデザインしたものだけがデザインではありません。そして、われわれはこうしたものに驚かず、ごく当たり前に認識して生活しています。習慣化しながら行動して、それを当たり前に繰り返すうちに、われわれの文明は発展してきたわけです。つまり、われわれは自分たちがつくったものに影響を受けながら生きていたということで、これがすごく重要なところです。

それをうまく表しているのが、1940年にイギリスの首相に就任したウィンストン・チャーチルの言葉で、彼は「われわれは建物を築く、すると今度は建物が我々を形作る」と言っている。ここでは建築のことを言っていますが、人工物の存在とわれわれの存在との相互性について示した有名な言葉です。この自分たちがつくったものにつくられるという関係があって、時代や環境によって自分たちも変わっていくし、それによってデザインも変わっていくということが言えると思います。

ここで人類が大昔に使っていた道具を見てみたいと思います。これらは今どんな道具になっているかわかりますか?

これらは今どんな道具になっているでしょう

左から、スプーン、フォーク、ナイフというのが答えになります。

答え

まずスプーンの歴史について想像すると、水を飲もうとして川かどこか水辺に行ったら貝があって、思わずすくって飲んだというのが最初だと思うんです。そこから進化して洗練されていって、今の形になったんじゃないかと。

スプーンの歴史 スプーンの歴史

ナイフとフォークについては、最初ナイフしかなくて、ナイフを使って食べ物を切って食べていたそうです。そのうちナイフが2本になって、片方の刃が二又になったのが12世紀くらい。わたしたちの生きている時間から考えるとかなり前ですが、人類史で考えると最近ですね。そのあとフォークの先が4本になったのは18世紀くらいで、もっと最近です。肉を切って食べるのに、フォークで固定してナイフを使っていたんですが、最初はフォークの使い方もわからないので、食べる時に口の中まで入れてしまったみたいで、これは危ないということで作法の本みたいなものがたくさん出版されたという話も残っています。高貴なフォークの使い方みたいな本が出たりして(笑)それが今のテーブルマナーの元になっているところまでつながっています。

ナイフとフォークの歴史 ナイフとフォークの歴史

金属フォークの原型 金属フォークの原型

歴史的に追っていくと、ナイフとフォークを組み合わせた十徳ナイフの原型のようなものがあったり、スパゲティを巻くために回すリールのようなものが付いたフォークがあったりしたようです。デッドメディアならぬデッドデザインと言いますか。

ナイフ+フォーク ナイフ+フォーク

スパゲッティフォーク スパゲッティフォーク

そのなかで発見したのが、このラーメンフォークというものなんですけど、ご存知ですかね?どうもデザインとして優秀とされていて、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に飾られてるらしいんですよ。愛知県にはスガキヤというラーメンがあって、それがソウルフードらしいんですが、そこで使われはじめたみたいです。愛知県の方には当たり前なんですかね?日本のラーメンってそもそも中華の変形、日本得意の明太子パスタ形式の方法論ですし、食べ方も日本の箸と中華のレンゲのコラボじゃないですか。わりとわかりやすく文明を超えてコラボしてるところに、西洋文化をもう一度取り込んでいて、なかなかアクロバティックだなーと思いました。実際はどう使われているのか、今度愛知県に行ったら調べてみたいと思いますが(笑)、このデザインはあらためて文明の違いを考えるきっかけにもなりました。

ラーメンフォーク ラーメンフォーク

いわゆる西洋的な食事のしかたでは、皿に食事が盛ってあって、それぞれ取り分ける皿があって、机にはテーブルクロスが敷いてあるので、ナイフやフォークみたいな食器も直に置くことができますよね。それが和食では、最初から取り分けて配膳されてきます。茶碗や皿は地べたに置くので、箸を置くのに箸置きというものがある。要するに、いろんな道具をデザインをするときには、こういった文化が前提になっているわけです。

文明によるデザインの違い 文明によるデザインの違い

中村
肉食文化圏と農耕・漁業文化圏では、道具もまた変化するでしょうね。そうして文明や生活習慣によってデザインの洗練の方向が変化してゆく。さまざまなナイフとフォークをならべ、それぞれの機能を分けていくのは二元論的と言えますし、一方でなんでも箸で対応してゆく姿勢は、色即是空というか未分と言えたり。

デザインの人類史

大林
続いて、デザインを人類史として見ていきたいと思います。先ほど貝殻がスプーンに洗練されていったのを紹介しましたが、デザインが昔から存在していて文明とともに変わっていってるのなら、人類史=デザイン史とも考えられますよね。でも人類史と言っても、どこを切り取るのかがむずかしいところです。考古学的には、猿人(アウストラロピテクス)が出てきたのが400万年くらい前、石器(ハンドアックス)がつくられて使われはじめたのが260万年前と言われています。その時代から今に至るまでを、人類におけるデザイン史と考え直してみたいと思います。

デザイン史の話は、大体モダンデザインの話で、バウハウスを起点にすると1910年ぐらいから1970年ぐらいだから、60年ぐらい。長く見積もっても100年に収まります。近年に出版されたデザイン史の多くも、インターネット以降の変化について分析して予測できていませんでした。「最近はインターネット技術が活用されて、ユーザーインターフェースが重要になってきて、これからもデザインは変わり続けていくんでしょう」といった感じで(笑)その状況が変わってきたのは2000年以降で、いずれにしてもインターネットの登場はデザインの概念を再検討しないといけないほどのインパクトがあるのは間違いありません。だけど、デザイン史を人類史のスパンで考えれば、もっと安定したデザインの定義ができるんじゃないか。そんなことを考えています。

人類史とモダンデザイン史 人類史とモダンデザイン史

260万年前からも、ずっと変わらないものがあります。たとえば、260万年前につくられたハンドアックスと、今われわれが肌身はなさず持っているスマートフォンって、実はあまりサイズが変わりません。その理由のひとつは、われわれの身体のサイズ感が変わってないことだと思います。多少身長が大きくなったり手先が器用になったりしてるかもしれませんが、スケール感はそんなに変わっていません。

それから、われわれの行動原理。これもほとんど変わってないと思うんです。つまり、260万年間変わっていない人間の身体とその行動原理を前提にデザインを考えれば、「デザインとはなにか?」という問いに対する答えに近づけるんじゃないかということです。

人間は、行動が持続するのが根源的な喜びになります。行動を持続させるには、自分の環境にあるものが事前にわかってないといけない。極端な例ですが、今目の前に置かれてるコップが、水を飲む用途で使われる道具で、ガラス製だから割れないように気をつけないといけない、ということを知らなかったら、その都度「これは何なんだろう?」と考えながら行動することになりますよね。そうすると都度行動が途切れてしまう。これを「行動の分節化」と呼びますが、これはわれわれにとって不快なものなんです。だから、われわれは自分たちの行動を持続させるために、分節化させないために、身の回りのものをデザインしてきたんだと思うんです。

では、どうすれば行動が持続するかというと、それは環境の方を分節化すればいいんですね。どうすれば「環境の分節化」ができるかというと、それは図と地を区分して認識できればいい。図というのは「対象」、地は「環境」。さっきの例だと、コップは図であり対象で、コップが置かれたテーブルは地であり環境になります。

人間の行動からデザインを考える 人間の行動からデザインを考える

「図と地」のわかりやすい例で有名な「ルビンの壺」という絵がありますが、これは壺に見えると同時に、人の顔が向き合ってるようにも見えますよね。図と地が不安定で入れ替わるように見えるわけですが、このようにどの見方が正しいかわからないと、われわれは不安になります。この不安から、われわれは行動を分節化してしまうそうです。どうやらわれわれには、目の前のものがなんなのかわかることで、自分が自分でいられるという感覚を持つらしいんです。これは壺だと言われると、すこし安心しませんか?そして、おそらくこの感覚は260万年間変わっていないんじゃないかと思います。

図と地 図と地

この「図と地」の話は、ゲシュタルト崩壊って言葉で知られるゲシュタルト心理学でよく取り上げられるんですが、要素の組み合わせや配置による全体構成の問題なんですね。だからデザインのレイアウトルールでも参照されることが多くて、デザイナーじゃない人向けのデザイン本『Non-Designer’s Design Book※4』には、このゲシュタルトの基本原理だけが載っています。「図と地」はそのなかでも基本的な人間の視覚と認知の概念になります。

ゲシュタルト法則の例 ゲシュタルト法則の例

昔の人は、図と地っていうのが区分できていなかったらしいんです。今だとこれがコップと名付けられてて、それを知っているからコップと認識できるんだと思うんですけど、これがわからなかったら、もしかすると穴に見えるかもしれない。そうなると、警戒しながら触ったり、強く扱いすぎて水をこぼしてしまうかもしれない。図と地が区分できていない状態というのは、たとえばこんな状態です。

図と地のない視野 図と地のない視野

なんとなくではありますが、そこにダルメシアンがいるのがわかると思います。これは犬とかダルメシアンを知っているから見えますが、もし知らなかったら図と地が区分できないはずです。この犬が動いたときに、はじめて図と地が明らかになる。昔の人は地という環境のなかで、図をひとつずつ対象化して、行動を持続させてきたんでしょうし、今のわれわれも普段から障害になるものを対象化しているから、歩きスマホみたいに高度な身体技術が使えるんですね。

図を対象化する 図を対象化する

こうして人類史の長いスパンで見ると、われわれが身の周りのデザイン、手近な道具をつくったりしはじめたのは、自分たちの行動を持続させるためじゃないかと思います。なので、やはりデザインするということは人間にとって重要な基礎能力で、知らず知らずのうちに誰もがおこなっているものじゃないかと考えています。

たとえば、どこかでモノを買ってきて、自分の部屋に置いたりするじゃないですか。いろんな選択肢からひとつのモノを選んだ時点で、身の回りをデザインしてると思うんです。ガラスを溶かすところからコップをつくることだけがデザインではありません。最初の定義によれば、むしろどんなコップを買ってどう使うか計画したり準備する方が、デザイン的な行為と言えます。たとえば、建築のデザインでは、設計する人が足場を組んで建材を運んで釘を打ったりしてるわけじゃありません。デザインとは誰もがやっていることで、その定義には拡張性があります。SNSに上げる写真を選んで、加工して文字をレイアウトするなんて行為は、普通にグラフィックデザインだと思います。

人類最初のデザイン 人類最初のデザイン

もうひとつ、先ほど「対象」って話をしました。すこし概念的な話になりますけど、図をわれわれが対象化するときに、逆にわれわれも対象化されています。先ほどのチャーチルの言葉のように「われわれは建物を築く、すると今度は建物が我々を形作る」。

人間と対象の双方向性 人間と対象の双方向性

ほかにもわかりやすい例があるので、いくつか紹介します。

まずひとつ目は、高齢になって家を建て替えたりして、家具を新調してしまうと、認知症が発生する確率が上がるらしいです。つまり、われわれが普段住んでるとき、周りの家具によって自分を確かめながら生きているという証左だと思うんですよ。先ほどの言い方だと環境の分節化しているわけです。

もうひとつは、サレジオ会の宣教師たちが南米に行ったとき、いくら話をしてもキリスト教をインストールできなかったみたいなんですけど、住んでる場所のデザインを変えて、生活や儀礼の習慣を変えることで、最終的に改宗させたそうなんです。言葉で話して伝えるよりも、環境を変えて行動を変えた方が大きかったと言いますか、アーキテクチャを変えることで洗脳のようなことをやったわけです。最初の方で紹介したフルッサーの『デザインの小さな哲学』にあるデザインの定義「悪だくみ」に近い印象かもしれません。

それで一足飛びに260万年後の現在の世界に話を移します。わたしたちの能力やスケールは260万年前からあんまり変わってないという話と、自分とモノとで対象化し合っているって話が先ほどありました。これがスマートフォンを例にすると、かなりわかりやすくなります。電車に乗っていて、動画を観てたりチャットに夢中になって、乗り過ごすって経験をしたことありませんか?たぶん珍しい経験でもないと思うんですけど、考えたらスマートフォンというこんな小さな板のせいで乗り過ごしてるんですよね。逆に言うと、スマートフォンがなければ乗り過ごす確率はもっと低くなるのは間違いないわけです。これこそがモノに対象化されるという話で、要するにわれわれとスマートフォンでインターフェースを通して相互に対象化し合っているということだと思います。

そして、このインターフェースで相互に対象化し合っているということは、260万年前の石器時代から変わらないんじゃないかと思います。スマートフォンに対して、われわれの指や顔がインターフェースになってますし、握ったりタップしたりといった身振りを使って、スマートフォンのなかの世界を対象化しようとします。

今日のデザイン 今日のデザイン

中村
認知と学習。国内の例をあげれば1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博で、ひとびとははじめてピクトグラムに出会うことになります。トイレのマークをはじめ、今となってはおなじみのものですが、その当時は、それがなにを意図しているのか認識できる人はいなかったようです。今は一般的にそれが知られていて、それを見ながらトイレの位置を確認している。インターフェースによる学習というか、自分たちが成長し認識を広げてゆくという例は、こうして身近なところでもたくさんあるはずです。

デザインの再定義

大林
では最後に「デザインの再定義」を考えていきたいと思います。先ほどの話をまとめると、デザインとは「対象のインターフェースを作ること、またはその計画やプロセスのこと」と言えそうです。これだけだと、今まで定義されてるものとそんなに変わらないですけど、今回すごく大事だなと思ったのは「デザイン観」と言いますか、ひとりひとりがデザインをどう見るかというところでした。

これまでのデザイン観っていうのは、ユーザーである人間を主体にして、対象となるモノをデザインすると考えられていました。つまり、人間がいかに対象をコントロールするかが前提になっていたんですが、実際には先ほど言ったように、互いに対象化し合ってるわけです。

これまでのデザイン観 これまでのデザイン観

そうすると、こう言い換えなければなりません。デザインとは「人間も含めたすべての対象が相互に対象化(関係)し合うなかで、ある対象をデザインする」ことだと。今はこの関係から考えるデザイン観が必要なんじゃないかと思っています。

これからのデザイン観 これからのデザイン観

定義だと抽象的ですが、たとえばこのコップがコースターに乗せられていて、下にテーブルがあって、それぞれ関係し合っていますよね。そのままテーブルに乗せると、コップもテーブルも傷ついてしまうかもしれないので、コースターに乗せているわけで、それぞれ関係し合っています。このコースターがある理由は、もしかするとわれわれ講師への心遣いかもしれませんし(笑)丁寧に見えるというので誰か先人がルール化して、それにしたがって使ってるのかもしれません。いずれにしても、そうやってネットワーク的に関係し合っていて、相互に対象化し合うなかでデザインしていると考えられる。

最近だとデザインの話でも「モノからコトへ」なんて言われていて、ここで言ってるコトというのは関係のことです。いろんなモノを関係的な集合に捉えることができる。それをさらに「コトのデザイン」と言うとき、関係をもう一度対象化してるんですね。サービスでもブランドでもいいですけど、その関係的な集合を名付けて統合して、モノのように扱えるようにする。大事なのは、固定的なモノとして見るのではなく、関係全体を見ながらデザインについて考えるということで、それが今日一番伝えたかったことです。

中村
まったく同意です。人間と環境を違うものとして分け、環境にある対象物をデザインしていると捉えるのか、それとも人間自体もその環境に内包される対象物として捉えるのか、そこには大きな視点の違いがあります。人間もひとつの対象であり、並列関係のなかにあるもののひとつだという認識は、これからのデザインにおいて自覚すべきでしょう。

大林
受講者の方から、「自然の中から考えられるデザインがデザインだと思うのですが、これからのデザインの考え方はどんなデザインだと思いますか?」という質問がありました。これについてですが、まずここで言う自然は二種類考えられますよね。ネイチャーという意味と、われわれの無意識での自然体という意味が。もしネイチャーの意味であれば、われわれは自然にだけ向き合って生活しているわけではなく、むしろ文明に囲まれて生活しているので、文明の方が自然化しているんじゃないかと思います。なので、これからのデザインの考え方ということで、さっき説明した話そのままの答えになってしまうんですが。

中村
そうですね。自然をどう捉えるかというのが、まずあって。そのひとつは風土というか、環境のなかから出てくる、必然的に導かれるデザインというのもあると思うんです。グローバルなるものとしてパッケージされたものがいいのか、それとも各々の場に最適化された方がいいのか?とか。そうしたことも考えないといけなくて。そこの違いがさきほど触れた「デザイン観」の違いになる。

じつは今のご質問は、次回につながる話です。というのも、次回はそもそも「いいデザインとは、なんだろう?」ということをテーマにします。今の話も、最終的にはここに直面すると思うんですよね。今回はデザインの再定義を260万年というスケールで扱いましたが、次回はこの150年くらいで徐々に形成されてきた「いいデザイン」とされているものの、流れを見ていきます。そのデザインがいいとされる価値観や、いいと言える理由などを掘りさげていきます。

デザインのよみかた